2008-01-01から1年間の記事一覧

三つの器

その時、目前には三つの器があった。一つには熱き液体を、二つには冷たき液体を入れ、三つは空のまま置き、まず一つ目の液体を空の器に注ぎ、二つ目の液体を今や空となった一つ目の器に注ぎ、一つ目の液体によって満たされた三つ目の器に入った液体を空とな…

エルンスト・バルラハ 鈴木正治

あることがきっかけで、2006年に東京で開催されていた、エルンスト・バルラハの展覧会を見逃したことを思い出し、ショックを受けた。当時も、見逃したことがわかった時点で同様の感覚を覚えた記憶があるが、2年経った今も変わらぬ鮮度で同じ気持ちを持…

道端で、四羽ほどの雀が啼いていた。近づいてゆくと、三羽ほどはふわりと空中へ舞い上がってゆくが、残りの一羽はやけにのんびりと構えており、羽ばたいても浮力が十分になく、地面に対して平行に飛ぶのみである。怪我でもしているのかと心配になって見ると…

『赤めだか』立川談春著

立川談春著『赤めだか』を読んだ。私の中で青春記と言えば、和田誠の『銀座界隈ドキドキの日々』や明本歌子の『コズミック・ファミリー アクエリアスの夢を生きる女』などが重要だが、談春の本もこれらに匹敵するほどに面白い。引き込まれた。良い青春記は、…

アジサイ

アジサイが咲き始めている。場所によって成長の早さに違いはあるが、家の前に咲いているものなどは、薄緑色をした小さな花に混じっていつのまにか大輪の花を重そうに提げている。アジサイは、枯れ色をしている茎の中に頂芽が隠れていて、季節になると突然伸…

横浜・ターナー賞

Art Gallery山手で『山手の坂道と風景展』を観る。ギャラリーを出て、中華街が近かったので昼食に中華まんでも買おうと思い、朱雀門から入ってしばらく歩くと、威勢の良いおばさんに店頭で声をかけられた。客が他にいなかったことと、買う買わないの判断を飛…

中西夏之新作展(承前)

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昨日の記事を書いた後も、自分の中でしばらく中西夏之についての考えが続いていた。その中で、自分は11年前の鮮烈な記憶に囚われているせいで、その間に中西夏之の内で静かに進行していたある可能性について、十分に把握できていなかったのではないかとい…

中西夏之新作展 松涛美術館

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渋谷区立松涛美術館で中西夏之新作展。1997年に東京都現代美術館で観た個展では、キャンバスの矩形を締め付けるような弓形のモチーフや、長い柄のついた筆によって描かれた×状の息の長い筆触の連なりが、画面に孔を穿つような鋭さを見せていたのに対して…

リー・フリードランダー『桜狩』

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RAT HOLE GALLERYでリー・フリードランダー『桜狩』。日本の桜に魅せられたフリードランダーは、1977年を皮切りに、79年、81年、84年と繰り返し桜の季節を日本で過ごし、桜とそれに連なる風物を写真に収めている。例によってフリードランダーは、カメ…

ベルリンの壁の絵

雨の日は、空気中の瘴気が全て洗い流されているような感じがして、外を歩いていても気持ちが良い。沢山の水を浴びて、植物も喜んでいる。夜の暗闇の向こうからでも、それは確かな気配として伝わってくる。このような日であれば、Singin' in the Rainを唄うジ…

屋上庭園 東京都現代美術館

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庭をテーマとした展覧会。庭は人為的に囲いをつけられた生成する自然であり、アナーキーに成長し続けようとする自然の諸力に対して、人間が理をもって裁断を行う場である。同様に、作品を生み出すためには力の発現が肯定されるのと同時に、純粋な力を制作と…

『spore』Vol.5

『spore』Vol.5に、「モダニストの夢と日本的廃墟 清水登之のすべて展 栃木県立美術館」というタイトルのレビューを書いています。http://www.spor-e.com/

作品について

画家の永瀬恭一さんが、私の作品についてコメントを書いてくださっている。http://d.hatena.ne.jp/eyck/20080423#p1 確かに、形式的な反省を手掛かりのひとつとして絵画を実践的に思考しようとする場合、ブラッシュストロークをどう扱うのか(排除するのか)…

額縁

先日、ある画廊を訪れた時のこと。不躾かとも思ったが、在廊していた作家になぜ額縁をつけているのですかとたずねてみた。その抽象的な絵には、額縁がないほうが良いように思えたし、付いていた額縁も絵に合っているようには見えなかったからだ。すると予想…

味覚

喫茶店でコーヒーを注文したのに、紅茶が出てきており、私はそのことに未だ気がついておらず、その紅茶をコーヒーだと思って飲むとき、口の中に広がる温かさについては、確かに私が望んだものであると納得しながらも、舌の上で感じる味や鼻で感じる香りにつ…

文芸誌とテレビ局

良く晴れた日に散歩がてら図書館に寄って、新刊の文芸誌や論壇誌、詩の雑誌などを4、5冊見繕いテーブルの上に重ねて置き、各誌の目次を眺めつつ、気になった小説・評論・対談・コラムなどを、つまらないものは足早に斜め読みし、面白いものはゆっくりと注…

アンリ・ミショー

昨日の記事の脚注2に追記を付した。これはそれへの再度の注釈。身体的なスティルが形式に対して遅れてやってくるということに関連して。 わたしがしていること、それは単に、一本の指だけでギターを弾く人間がするように、下手くそにデッサンしているだけな…

和泉式部日記

雨うち降りてつれづれなるに、女は雲間なきながめに、世の中を「いかになりぬるならむ」とつきせずながめて、「すきごとする人あれど、ただ今はともかくも思はぬ。世の人はさまざま言ふべかめれど、身のあらばこそ」とのみ思ひて過ぐす。宮より、「雨のつれ…

福居伸宏展「ジャクスタポジション」 TKG Contemporary

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TKG Contemporaryで福居伸宏展「ジャクスタポジション」。夜間に撮影された都市の写真が、写真同士の間隔を無くして、長くパノラマ的に並べられている。民家やオフィスの窓、街灯などから発せられる人工的な光が丁寧に写し取られており、遠くの空が写された…

VOCA展2008 上野の森美術館

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上野の森美術館でVOCA展2008。なぜ平面なのかという疑問をとりあえず置いておくとして*1、様々な傾向の作品が並列的に展示されているなかで見えてきたのは、「何を描くか」と「いかに描くか」が対立していたということだ。「いかに描くか」という課題が前景…

力を抜くということ

意識が前方に固定されており、身体の後ろ側に対する配慮が全くなされていない時、不意に背後から物がぶつかるかぶつからないかという瞬間、異様に時間が引き延ばされたように感じ、未知の危険に対して意識が研ぎ澄まされ、ぶつかってくる物体をできるだけ少…

山の桜・趣味と感情の問題

神奈川県の伊勢原にある大山に登山し、大山阿夫利神社に参拝する。下界の桜はすでに散り始めているが、山の桜は今が丁度満開で、瑕瑾の無い桜の花びらが威勢を誇っている。 昨日の記事をアセテートさんに紹介して頂いたことに触発されたので、『回想のヴィト…

アートフェア東京・回想のヴィトゲンシュタイン

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アートフェア東京2008。面白かったのはhino galleryで観た高見澤文雄の複雑に絡み合う線をモチーフとした油絵と、角匠で展示されていた喜多川歌麿の『絵本小町引』、西川美術店にあった宋時代の漆器、「朱漆葵形盤」。同じ宋時代の黒漆の皿もあったが、…

アントニオ・ネグリ来日中止

来日予定であったアントニオ・ネグリ氏が渡航間際になって、日本の外務省から不要のはずであったビザ申請と、ネグリ氏が政治犯であったことを証明する書類の提出を求められたが、膨大なイタリア語書類の入手が難しく来日を断念したようだ。 小泉政権下の民営…

香り・夢・物の怪

駅前の桜並木を通ると、桜の花はまだ蕾であるのに風に乗って花の香りが漂ってくる。目に見えぬ物質による刺激が直接感覚器官に働きかける香りは、視覚像とは異なり、時間や場所の違いを超えて様々な記憶の断片と容易に結びつく。それは夢の中で、一見何の関…

池田満寿夫-知られざる全貌展 東京オペラシティアートギャラリー

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初期のキャンバスや、よく知られた版画の作品群は、さまざまな作家からの影響こそ感じられはしても、池田満寿夫自身が何をしたかったのかが上手く伝わってこない。晩年までは、ひたすら習作の時代であると考えたい。特筆すべきは、90年代以降の陶芸作品で…

熊谷守一展 埼玉県立近代美術館

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美術学校時代の初期作品から晩年の日本画に至るまでの作品群を網羅した、質・量ともに充実した展覧会だった。確かなデッサンに裏付けられた初期の人物画からは、対象に向かう優れた認識能力が伺える。この時期の作品には、色彩は殆んど用いられておらず、画…

「芸術作品を見ること、作ること」

今年のはじめ頃、四谷に岡崎乾二郎と松浦寿夫による、「芸術作品を見ること、作ること」と題された公開対談を聞きにいった。理論的にと言うよりも、ルネサンスから近代くらいまでの、具体的な芸術作品の写真に即して作品の見方についてざっくばらんに語ると…

清宮質文展・プライマリーフィールド展

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JR横須賀駅で電車を降りると、港には幾隻もの灰色の軍艦が聳えていた。その灰色をバックにして、遠くを白いカモメが一羽二羽と飛んでいる。鳥の餌となる菓子を海に向かって投げ込んでいると、遠心力が強まるようにしてカモメが次々に集まってくる。カモメは…

元旦。神社に参拝して、鼠の土鈴を買うと、箱の中に飾り付け用の板が入っている。その板を支持体にして絵を描いた。続けて紙の上にも描く。紙とキャンバスとでは、勝手が随分と違っているが、キャンバスの上に描くようなつもりで描いた。