エルンスト・バルラハ 鈴木正治

 あることがきっかけで、2006年に東京で開催されていた、エルンスト・バルラハの展覧会を見逃したことを思い出し、ショックを受けた。当時も、見逃したことがわかった時点で同様の感覚を覚えた記憶があるが、2年経った今も変わらぬ鮮度で同じ気持ちを持った。これからも、大きな展覧会の一部に数点のバルラハが出品されることはあるだろうが、バルラハだけをまとまった形で見る機会はそうないだろう。バルラハの彫刻は、1997年にストローブ=ユイレの『黒い罪』を初めて観たときに、轟音と共に映画の冒頭に映し出されたのを見てからずっと気になっていた。映し出されていた作品は、おそらく『復讐者』であったように思う。フォルムをひと目見て、戦闘機か何かを連想させたが、すぐさまそれが人間であることがわかり、非常な興味を感じた。『黒い罪』は結局アテネ・フランセへ2回観に行った。

 先日、「ギャラリーま」で鈴木正治の展覧会を見ることができた。家に帰ってから、会場で販売していた、2004年に青森県で開かれた展覧会の図録を見て驚いた。1950年代の作品に、バルラハを思い出させる表現主義的な木彫があったからだ。バルラハの彫刻も鈴木正治の彫刻も共に造形的な要素が強いが、両者共に表面的な形だけが問題化されているのではない。素材(物質)と形態(像)との間にある眼に見えない中間的な領域こそが意識的に彫られているのだ。そこでは、イメージかマテリアルかという単純な構図ではなく、絵具という物質の配置が同時に像の示現と不可分に結びついているセザンヌ的な探求が、彫刻においても目指されていると言えるのではないか。作品がこのような様態を示すとき、展示される場所や配置は問題にならない。いかような状態に置かれていたとしても、作品の自律性が、観る者との関係を独自に構築するからである。

 鈴木正治展の会場に、「太平洋」と題された巨大なエッチングがあった。これは、紙を平面のまま、引かれた黒い線によって可塑的な素材に変形しようとする意欲的な作品であると思った。彫刻と絵画が平面上において出会う、稀有な達成であると思う。