「芸術作品を見ること、作ること」

 今年のはじめ頃、四谷に岡崎乾二郎松浦寿夫による、「芸術作品を見ること、作ること」と題された公開対談を聞きにいった。理論的にと言うよりも、ルネサンスから近代くらいまでの、具体的な芸術作品の写真に即して作品の見方についてざっくばらんに語るという趣旨で、対談は非常に興味深く、刺激を受けた。ただ一方で、端的に持たざるを得なかった感想は、フォーマリスティックに作品を分析することの限界だった。それを象徴的に示していたのは、ターナーに関する部分で、岡崎氏はターナーの風景画が持つ複雑性を評価するのに対して、「ボブの絵画教室」で知られるボブ・ロスによるシステマティックな絵画制作を批判する。しかし、個人的な趣味判断の範疇を超えて、具体的になぜターナーの作品よりもボブ・ロスの作品が劣っているのかということについて、納得のゆく説明はなされなかったように思う。勿論、ボブ・ロスの作品には、ターナーの作品にあるような複雑な色彩の諧調や絵具層が欠けているということぐらいは容易に理解することができる。ではそこで、もしボブ・ロスが、ターナーの持つ絵画に複雑性を与える技法をシステマティックに習得し、実践したとすれば、素晴らしい芸術作品が生れるのかという問いを立てたらどうなるだろうか。もしフォーマリズムを自身の立場とするのであれば、これに諾と答える他ないが、私にはとてもそのようには思えない。フォーマリズムは芸術作品が持つ水平性を記述することはできても、その垂直性を記述することができない。同様に、岡崎氏は対談の中で、ジャコメッティーの彫刻が持つボリュームの無さや、作品に台座がついていることによる形式の古典性を批判し、マニエリスティックなメダルト・ロッソの彫刻を評価しているが、その権能を無視したフォーマリズムの濫用ではないかと思う。