香り・夢・物の怪

 駅前の桜並木を通ると、桜の花はまだ蕾であるのに風に乗って花の香りが漂ってくる。目に見えぬ物質による刺激が直接感覚器官に働きかける香りは、視覚像とは異なり、時間や場所の違いを超えて様々な記憶の断片と容易に結びつく。それは夢の中で、一見何の関連性も持たない事物や出来事が奇妙な接合を果たすことに似ている。夢は記憶の薄れによって、視覚像が個別の状況から引き離され、非場所的な想起が引き起こされる状態と等しいのだ。非場所的な想起によって召還されるイメージは、デッサンのように手元操作による変換が可能な能動的イメージとは異なり、固定され変換することの不可能な絶対的なイメージとなり、想起する主体を受動的な存在として支配する。暗闇の中で眼を閉じていると、様々な姿形をした怪物のイメージが浮かび上がっては消えて行くことがあるが、このようなイメージも具体的な状況や記憶といった根を持たない。浮世絵に登場する幽霊や怪物のイメージもこのような観点から理解されうるだろう。絵師たちは暗闇の中を突然に攻め来る由来の分からないイメージによる牢獄から逃れるために、異形な姿形をまるで水面に浮かんだ画像を紙によってそっくりそのまますくい取るようにして画面の上へと写しとってゆく。そこでは絵画というメディアは、自らの身体をイメージによって支配しようとする物の怪を、脳の外部へと移し替え相対化するための記録装置として用いられている。そして場所を持たないイメージの怪物は、作られた絵画を観た者の脳=身体を伝播しながら、その形態を自在に転化させてゆくだろう。話し言葉による物語が辿る運命のようにして。