和泉式部日記

 雨うち降りてつれづれなるに、女は雲間なきながめに、世の中を「いかになりぬるならむ」とつきせずながめて、「すきごとする人あれど、ただ今はともかくも思はぬ。世の人はさまざま言ふべかめれど、身のあらばこそ」とのみ思ひて過ぐす。宮より、「雨のつれづれ、いかが」
とて、
  おほかたにさみだるるとや思ふらむ君恋ひわたる今日のながめを
とあれば、折過ぐい給はぬを「をかし」と見る。「あはれなる折しも」と思ひて、
  偲ぶらむものとも知らでおのがただ身を知る雨と思ひけるかな
と書きて、紙のひとへを引き返して、
  「ふれば世のいとど憂き身の知らるるを今日のながめに水まさらなむ
待ち取る岸や」
と書きすさみたるを御覧じて、たちかえり、
  「なにせむに身をさへ捨てむと思ふらむあめの下には君のみやふる
たれも憂き世を」
とあり。  『和泉式部日記』十四

 『和泉式部日記』は、女流歌人本人の日記とも、和泉式部が三人称的に描かれた部分があるために、後に別人によって草された物語とも言われている。日記にしては、話が上手く進展しすぎていることから、日記が読者によって書き写されていくうちに整理されて、物語的な側面が強調されるようになったのかもしれない。しかし、『和泉式部日記』の中に、日記性と物語性が混在していることは重要で、日記が日を跨いで草されることによって、その物語は連続しながらも節として分断されており、その節が連なってゆく様子が、映画におけるシーンの繋がりのようにも感じられるのである。また、『和泉式部日記』を貫くのは、平安貴族社会のエクリチュールであり、女のエクリチュールである。まずもって、時代や身分や性別が纏うべき文章の型があり*1、そしてひとつひとつの文章や和歌には、背後に夥しい数の典拠からの引用が織り込まれている。このような多数性は、この時期の文学には珍しいことではなく、『和泉式部日記』以前にもすでに紀貫之による『土佐日記』が、男の手によって女の文体として書かれている。当然、『和泉式部日記』も女性単独による作という保障は無い。ショシャナ・フェルマンは『女が読むとき 女が書くとき』の中で、女は常に男として読むように訓育されていると、男性中心社会における政治的正しさを語っているが、日本の日記文学を見ていると、必要なのは女が女として書くことの自由*2が確保されるのと同時に、男が女として書くこと、既存のエクリチュールを逆手に取り、また様々な典拠を横滑りさせて、ラングの組み換えさえもが可能となることではないだろうか。

*1:このような頑強なエクリチュールに対して、作者自身のスティルによる抗争がどの程度文体の中を分け入っているのかは容易には読み取れない。

*2:現代日本文学における一部の女性作家による試みは、女が女として書くこととして要約されうる。(追記)女が男のエクリチュールから抜け出そうとするとき多用されるのは、形式を後退させ、自身の身体に働きかけることで、過剰なスティルを生成させる方法である。これは女性に固有の方法ではなく、男性が形式から脱しようとするときにも用いられる。男が女として書くという時、まずもって形式面から試みられるということも確認しておきたい。始めから身体的に女になるというのでは、女が女になることと理屈としては変わらないので、ここで言う批判的な意味が失われてしまう。作品において、スティルは不可欠でもあるが、それは形式に対して遅れてやってくる。これは言うまでも無く、文学だけでなく美術においても言えることだ。