2007-01-01から1年間の記事一覧

二重の政治に潜む落差を意識すること

作品に少しでも分節可能な構造を意識するのであれば、すでにその背後には政治が迫っている。政治に対して向かい合うか否かは、主体にとって選択可能な問題ではなく、方法を意識した制作そのものに予め織り込まれているものと見るべきだろう。政治という言葉…

山田正亮 須田悦弘 蔡國強

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画廊轍で山田正亮展。今回は、ストライプ絵画に焦点をあてた展示である。山田作品の中では、60年代初頭の約2年間程に集中して描かれた、多色ストライプの作品をもって嚆矢とするという画廊主の話を聞きながら観覧する。雪舟や等伯が中国の水墨を日本の風土…

俳諧と現代美術

江戸俳諧も現代美術も、形式の展開を見た場合、ジャンルの自立から複雑化へというように、類似した流れを辿ることができる。しかし、形式の展開だけを見るならば、そこには歴史性が欠けている。作品に直接政治を反映させることは、社会主義リアリズムやプロ…

子規-蕪村と漱石

正岡子規によれば、蕪村が自身の俳句において、漢語や古語を多用したことは、作品を複雑化させるための意識的な選択だった。芭蕉の句にも、蕪村的な実験が無かったとは言えないが、次第に古池の句*1に代表される平明さへと収斂してゆくし、芭蕉以後、幾人か…

雲割れて日の照り返る青田かな

水面に生きものの気配無し隅田川行く舟の提灯赤し隅田川

老猫の末期の声や百足草

土より出て飛ばず

丸窓に地蔵抱きし紫陽花寺 (鎌倉にて)

『ウミヒコヤマヒコマイヒコ』油谷勝海監督

舞踏家の田中泯が、インドネシアの島々を巡りながら自身のダンスについて再考しようとする、ドキュメンタリー的なロード・ムービーである。旅の始まりで田中は、子供達の発作的なダンスに衝撃を受ける。それはまるで、生まれたばかりの稚魚が、自身が未だ世…

北川裕二展 maru gallery

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会場に入ると、彩度の高い色彩がびっしりと張り付いた、小振りなサイズの作品が壁面に整然と並べられており眼を引かれる。北川氏の作品は、デカルコマニーや版画の技法などが複数組み合わされて制作されている。まず一枚目の紙に、オイルパステルによって数…

花と色彩とはひとつのものではない 「ホーム」から溢れ出て鈴なりに落ちてゆく人々 今では使われずに残された私書箱に 到来させるための身振りだけが連なる

モネ大回顧展 国立新美術館

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印象派は、それまでの絵画を規定していた規範からの逸脱と、その修正の歴史であった。まずマネが既成の絵画的文法に違和を唱え、後進がそれに続いた。モネも、1868年の「ゴーディベール夫人」と題された全身像では、マネ的な方法で絵画の平板さを強調し、唐…

下記の事由により、現在作品が展示されております。 お近くにお寄りの際には、足をお運びください。 「マエストロ・グワント入賞者による展覧会」2007年四谷アート・ステュディウム コンペティション マエストロ・グワント二次審査のために展示された 入賞者…

夕暮れ時に窓から外を眺めると、遠くに見える森の木立は霧雨で煙り、薄墨を幅広の刷毛で一振り認めるには、このような湿度が齎す気配が必定に相違無しと思い至る。細かく動く薄灰色の靄が視覚の届く範囲を支配しているために、手近にある木の葉の緑の濃さが…

Lee FRIEDLANDER RETROSPECTIVE

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RATHOLE GALLERYで、リー・フリードランダーの回顧展。フリードランダーの写真には、いつも透明な視線を遮る干渉物が介在している。それは、写真によって撮られたテレビなどの映像であり、鏡であり、ショーウィンドウのガラスであり、白目を剥き、被写体らし…

柳健司展 秋山画廊

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千駄ヶ谷を歩いていると、古い民芸店を見つけた。中に入ると、現代の物で手頃な値段ながら、健康な用の美に貫かれた品が多かった。窯元が多治見にあるという陶器の小皿を一枚買った。秋山画廊で、柳健司展を見る。大胆な筆の筆触を活かし、白と黒だけで描か…

粗句羅手須不羅屯亜利巣戸手烈

デッサン

デッサンをすると、視覚が能動的になり、色々なものが眼に飛び込んで来る。写真を撮る時にも、異様に物が見えるようになることがあるが、それは、ともすると「無限のくりかえし」*1に陥ってしまう可能性のある明晰さであり、デッサンによる手の動きを伴った…

はしご

不思議な場所にはしごが掛かっているのを見かけた。道路からはしごの掛かっている場所まで登るには、斜面が急な上に距離が長いし、庭から垣根を乗り越えるにしても、植え込みには何か作業ができるほどの足場がない。老猫のための通路かと想像してみたが、そ…

大分へ

羽田からスカイマークエアラインで福岡空港へ。スカイマークは安い運賃のかわりに、機内食も無く、飲み物も有料だが、過去の航空業界のような横並びを排し、利用者に選択の幅を与えるという点では評価できる。しかしそれは、市場での過当競争に晒された後で…

相笠昌義展

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雨の降りしきる中、ギャラリー・アニータで相笠昌義展を見る。ドーミエやゴヤばりに、縦に圧縮されたように造形された人物の群像が記憶に刻まれる。どのような人種を描いたとしても、同類と思わせる人間像の数々は、ものを見る視点とデッサンの揺るぎなさを…

ブルーノ・タウト展 ワタリウム美術館

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多方面からブルーノ・タウトの足跡を辿る展覧会。写真や模型、手紙なの資料に加え、多くの絵画やドローイングが展示されている。眼を引いたのは、タウトが自身をまずもって画家として認識していることだ。ここからは、決して建築のみが中心にあるのではなく…

零のゼロ

下記の展覧会に出品します。 大分県と関東からは遠方ですが、近県の方、またはお近くにお立ち寄りの際には、よろしくお願い致します。 ◇零のゼロ◇*12007年4月17日(火)〜4月22日(日)9:00〜18:00 (最終日16:00まで)大分市アートプラザ内1FギャラリーA…

須田一政写真展「子供の常景」

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日本橋のギャラリーパストレイズで、須田一政写真展「子供の常景」を見る。主に1970年代に日本各地で撮影された、子供達のスナップが並ぶ。一葉づつ丁寧に撮られた須田氏の写真は、被写体と枠(構図)との親和性が非常に高い。構図に対する意識が強いのは確…

てんぐのかずあそび

買い物袋

最近、スーパーへ買い物に行く際に、自前の買い物袋を利用している。些細なことだが、これで少しでも環境を汚す割合いが減少し、資源が無駄にならないことを思うと気分が良い。薄いビニール製とは異なり、確りとしているので食材を運ぶのが楽である。買い物…

球体写真二元論:細江英公の世界展 東京都写真美術館

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今年の年始に細江英公の写真を観に行った。異形なものや前近代的なモチーフを、過度にデザインされたフレームで捉えた細江の写真は以前から好きではなく、今回もそのことを確認しに行くだけになるかと思っていたが、展示室の一角に、ガウディの建築の外壁や…

画廊巡り

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ギャラリー小柳で小川百合展。画題はイギリスの古い図書館や、アメリカの劇場や映画館、ローマのボルゲーゼ庭園の階段など。様々な色の鉛筆を丹念に重ねることで、遠目には写真とも見紛うようなリアリティーを獲得している。近くに寄ってみると、手透きの和…

disPLACEment--「場所」の置換vol.2 倉重光則展 photographers'gallery

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美術作家の倉重光則氏は、1970年頃に野外で多くのゲリラ的な活動を行なっていた。その多くは、海に赤と青の絵具を大量に流したり、在日米軍の敷地内にある砂浜に、廃油で巨大な円相を描くといったように、ハプニング的な一回性に憑かれたものであったようだ…