俳諧と現代美術

江戸俳諧も現代美術も、形式の展開を見た場合、ジャンルの自立から複雑化へというように、類似した流れを辿ることができる。しかし、形式の展開だけを見るならば、そこには歴史性が欠けている。作品に直接政治を反映させることは、社会主義リアリズムやプロレタリア文学の退屈さを反復することにしかならないだろう。だが、歴史に附随する政治は、消去し得ないものとしての国家のように、形式の周囲に滞留し、暗に作品を生み出す契機ともなるだろう。批判は、地殻の変動のようにしてのたうつ不可視の政治に対して、危機を回避しようとする力として機能する。形式と政治を詳細に分類すること。それでも分類不可能な領域を、歴史の運動として捉えること。