disPLACEment--「場所」の置換vol.2 倉重光則展 photographers'gallery

美術作家の倉重光則氏は、1970年頃に野外で多くのゲリラ的な活動を行なっていた。その多くは、海に赤と青の絵具を大量に流したり、在日米軍の敷地内にある砂浜に、廃油で巨大な円相を描くといったように、ハプニング的な一回性に憑かれたものであったようだ。今回の展示の元になった作品(1970年)も、セメントに海砂を混ぜて立方体状にしたものを、福岡県志賀島の砂浜に設置したもので、二年に渡ってそれが崩壊してゆく様を観測するというものだ。後には作家が撮影した記録写真だけが残されており、今ではそれを実際に見る術はない。今回の展示の企画は、美術批評家の土屋誠一氏が、作品が設置してあった場所まで行き、倉重氏が撮影した同じ地点から、作品の消えた光景を撮影し、それをギャラリーの空間に一緒に展示するという内容である。人が夢で生じたことと、現実に起こったこととを明確に識別することが難しいように、ここでは写真で見たことと、実際に経験したこととの異同に対する識別の可否が問われている。かつてその場所で作品を作り、それを撮影した作家が、かつてそれがあった場所で、そこにあったはずの作品に思いを馳せながら、今では作品の消え去った光景を撮影した他者の写真を見るという経験の構成が、この展示においては賭けられているのだ。そして、その展示を見る観客は作家と企画者の内、どちらが撮ったとも分からないニ葉の写真を見比べて、時間的に隔たったはずの「ある/ない」という二重の経験の痕跡を辿りながら、複製同士が持つ微妙な差異を読み取り、自らの記憶の中の、写真によるものと実際の経験との階層差の揺らぎについて考えることになる。1970年頃に行なわれた倉重氏の一連の作品は、暗に政治的な意図をも感じさせるものだが、一度は忘れられた作品が、記憶を撹乱させながら他者によって生き直される時、「場所の置換」はユートピア的な領域に留まらず、現実を変化させる潜勢力を持つのではないかとも思われるのである。

http://pg-web.net/documents/past/2007/kurashige/index.htm