ブルーノ・タウト展 ワタリウム美術館

多方面からブルーノ・タウトの足跡を辿る展覧会。写真や模型、手紙なの資料に加え、多くの絵画やドローイングが展示されている。眼を引いたのは、タウトが自身をまずもって画家として認識していることだ。ここからは、決して建築のみが中心にあるのではなく、芸術と社会と個人的な生活のそれぞれの項が動的に交わうような形で、タウトの思想が形成されていることが見て取れる。1920年代にベルリンに建てられたジードルンク(集合住宅)でも、馬蹄型など独特の形態が社会的な機能性への志向から生み出されている。また、ジードルングにはそれぞれの棟や部分ごとに、様々な色彩が施されている。これによって、集合住宅がもつ反復的な建築形状による、それぞれの棟の没個性化をさける働きがあると展示では解説されていたが、タウトにとっての色彩にはそうした機能以上の意味合いがあるように思われる。アルプス建築のような空想的でユートピア的な建築を真面目に計画していたタウトは、例え彼岸的な理念であっても、理論的な筋道さえ通っていれば、悟性的な労働を通して実現へと向かうことが可能であるという革命的な思想を抱いていた。色彩は、秩序に基づいて配列させることの可能な言語であるが、同時に、ウィトゲンシュタインが言うように、同一色彩の同定不可能性を原理的に胚胎していることや、無数のグラデーションが掴もうとすれば逃げ去るようなアンフォルム的な様相を見るものに強いている。タウトにとっての色彩とは、モダニズムが要請する政治的な機能の一因であると同時に、絵画的な認識の一挙性をも同時に追求する性格を有していたのである。タウトと言えば桂離宮だが、展示されていた桂に関する画帳を見た限りでは、磯崎新が言うような桂をモダンな視点から捉えたという側面は実は薄い。事後的にモダンな概念化を施されたにせよ、タウトはまずもって日本的なものの内側に沈潜し、桂が発生した瞬間の様相を捉えようとしていた。それはタウトにとって、ギリシャ建築が齎すような数理的空間が発生する事態を、異なる論理を通して逆側から反省する意味合いを持っていたのだろう。