北川裕二展 maru gallery

会場に入ると、彩度の高い色彩がびっしりと張り付いた、小振りなサイズの作品が壁面に整然と並べられており眼を引かれる。北川氏の作品は、デカルコマニーや版画の技法などが複数組み合わされて制作されている。まず一枚目の紙に、オイルパステルによって数種類の色彩が重ね塗りされ、その後、二枚目三枚目と色彩を変えて、同様の手順が繰り返される。そして、一枚目と二枚目を接着剤で張り合わせ、プレスした後に引き剥がすと、紙に塗られた色彩は互いに張り合わせた相手方の紙に写る。この作業を、別の色彩を塗り重ねた他の紙に対して幾度も繰り返してゆくと、様々な色彩が転写され、重層的フォルムを持った絵画像が生成されてゆく。この時重要なのは、同じ版を用いたとしても、転写が行なわれる手順の違いによって、版の数から演算される確率の結果だけ潜在的な絵画像が存在しているということである。結果として生まれて来た作品の選択には、最終的に作家による趣味判断が働いているにせよ、どれも相対的な一結果に過ぎないということである。ここに、シュルレアリスムが持っていたイメージの受動性が、システム論的な制作の中に回帰していることが見て取れるだろう。面白いのは、色彩が転写される時に画面の右と左が入れ代わるために、生成される絵画像が鏡像関係を結んでいることである。また、様々な色彩が塗られた版の組み合わせも、確率が介在しているために恣意的にならざるをえない。これによって、通常の絵画が直面する画面のコンポジションや色相対比の問題が括弧に入れられ、趣味判断を超えた強度が画面に生み出されているのである。転写による反転という空間を持たない場の中を、色彩の粒子が飛び交うことで、北川氏の作品には、常に遅延し、残存するイメージが粘り強く展開している。

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