Lee FRIEDLANDER RETROSPECTIVE

RATHOLE GALLERYで、リー・フリードランダーの回顧展。フリードランダーの写真には、いつも透明な視線を遮る干渉物が介在している。それは、写真によって撮られたテレビなどの映像であり、鏡であり、ショーウィンドウのガラスであり、白目を剥き、被写体らしさをことごとく排除したポーズで写る自身の姿であり、視覚による把握能力を超えて繁茂する植物の姿態である。それらのモチーフが、毎日少しづつ形を変化させながら、繰り返し撮られることで、複製芸術である写真だからこそ、反対に意識されてくる一回性が作品のテーマとして浮上して来る。フリードランダーのプリントが、まるでアウラの消失に抵抗するかのようにして、その都度立ち現れて来るように感じられるのはそのためである。そこでは、フランシス・ベーコンがベラスケスなどの中に見い出した、イメージの記憶と反復の問題が、異なるメティエを通して回帰している。また、フリードランダーの視線には独特の粘りがあり、被写体を画家がデッサンで捉えるように写し込む。単体の写真、もしくは連作を観る中で、他でもありえたであろうと想像させ得る可変的な形が掴み出されている。こうした点で、フリードランダーは、多数の写真を撮ってセレクトに賭ける、偶然性に頼った多くの凡庸な写真家とは決定的に異なる資質を持っている。この写真家のオリジナルのプリントを見ることで、狙いを定めて、確実に結果を出すという、本物の「プロ」だけが持つ凄みを感じられるだろう。