須田一政写真展「子供の常景」

日本橋のギャラリーパストレイズで、須田一政写真展「子供の常景」を見る。主に1970年代に日本各地で撮影された、子供達のスナップが並ぶ。一葉づつ丁寧に撮られた須田氏の写真は、被写体と枠(構図)との親和性が非常に高い。構図に対する意識が強いのは確かだが、それが作為的なものではないために、被写体が収まるべきところに収まっているかのように感じられる。それは、写真がどのような時代や風俗に規定されようとも、事後的に発生してしまうような普遍性へと通底しているだろう。

パストレイズでは、ヴィンテージの写真絵葉書を置いており、それらが興味深かった。多くはヨーロッパの古い風景写真などだが、薄く今にも消え入りそうなイメージの反逆的な強さに打たれた。このような、写真が持つ逆説的な強度からは、個別のメディアを規定している構造的な技術と、作家の持つ技術(技量)との関係について考えさせられる。作家はこのような二種類の技術の間に挟まれた存在であり、そのうちのどちらをどの程度顕在化させるのかについて、常に選択を迫られている。多くの美大受験用のデッサンが芸術ではあり得ないのは、個別の技量だけを突出させ、絵画というメディアが持っているインターフェースに対する配慮が皆無であるためだ。