夕暮れ時に窓から外を眺めると、遠くに見える森の木立は霧雨で煙り、薄墨を幅広の刷毛で一振り認めるには、このような湿度が齎す気配が必定に相違無しと思い至る。細かく動く薄灰色の靄が視覚の届く範囲を支配しているために、手近にある木の葉の緑の濃さが水で溶いた絵具となって、遠景が作る秩序立った色彩の渦の中へと滴り落ちているようにも思え、息苦しくなった。視線の先に寂しく立つ竿には、かつて泳いでいた鯉のぼりの姿はもう見られない。昨夏、人の背丈ほどもある雑草が茂った時、それを見る度に、「夏草や兵どもが夢の跡」という芭蕉の句を唱えていたものだが、その雑草は一年後の初夏を前にした今も、枯れ色のまま立ち尽くしている。舟越保武に「原の城」という彫刻がある。幕府軍によって殲滅させられたキリシタンの亡霊の幻覚が形象化されたものだが、その彫刻は作者によって空けられた眼と口から、空洞の闇が覗いている。眼に映ずる出自の異なる草も彫刻も、生と死が幾層にも重ね合わされている。霧雨が見せるあわひの間に収蔵されているのは、現実をも変えてしまうイメージの形勢であった。