画廊巡り

ギャラリー小柳で小川百合展。画題はイギリスの古い図書館や、アメリカの劇場や映画館、ローマのボルゲーゼ庭園の階段など。様々な色の鉛筆を丹念に重ねることで、遠目には写真とも見紛うようなリアリティーを獲得している。近くに寄ってみると、手透きの和紙の上には鉛筆の粒子がびっしりと厚く付着しており、画面に滑らかな光沢を与えている。鉛筆を幾層も重ねた結果、闇は闇としてどこまでも暗く表現され、そこから淡い色彩を持ったモチーフが柔らかく、丹念に描かれた強度と共に浮かび上がって来る。それは夢の中や、起き抜けの視界が捉えるような、限定されながらも明瞭なイメージであり、写真が容易にした注意深く対象を見るという行為を(写真的な視覚を)、再びデッサンの側から捉え返しているとも考えられそうだ。しかし、そのような解釈を行なうために担保された領域は、微妙な程に僅かであって、単に写実主義的な絵画と一括りにされてしまう危険性も孕んでいるだろう。

ギャラリー覚小林聡子展。作家がタイのチェンマイに滞在していた時に制作された作品群で構成されている。水色の小さな円形に切り抜かれたチップを手透きの紙に透き込み、パネルに張り付けた作品や、ニ層に塗られた絵具の表面を網状に掻き取り白い画面の下から水色の線が現れ出た作品、タイ製の薄い水色や緑色をした透明なプラスチックのコップを床に並べた作品など。どの作品も、作品を構成する材料を丁寧に並べ、それを精妙な手付きでずらしてゆく作家の手並みを感じさせる。そこには、物質に対する細やかな共感と対話があるかのようだった。会場で頂いた、チェンマイでの展覧会の内容を纏めたカタログが美しい。

資生堂ギャラリーで内海聖史展。数センチ四方の小さな方形のキャンバスに、様々な色彩で点を打ったものを壁面一杯に並べた「三千世界」と、その反対側のメインの壁面に、数メートルのキャンバスを1単位として、これまた壁面一杯に巨大な絵画として張り詰められた「色彩の下」で構成される。対照的なサイズと位置関係による明解な展示が印象的。小さな作品も、大きな作品も、円形に整えられた筆先によって押しつけられたタッチで、鮮やかな無数の点が打たれていることが共通している。色彩に明暗の転調を付けながら、截然と図と地の領域が分かたれてゆく内に、色彩による造形はうねりを持ち、熱帯雨林のように立体的に繁茂してゆくダイナミズムを感じる。造形のシステムとしては、円形のタッチを1単位として、それを縦横に積み重ねるようにして絵画空間を拡張してゆく方式であるから、極小の作品から始まり、いくらでも巨大な作品へと展開してゆくことができるというわけである。作品の構造自体も単純なグリッドであり、造形が縦横無尽に拡張してゆく様は、20世紀前半にニューヨークで建築ラッシュが起きた、スカイスクレーパーを思わせる。明るい色彩と大胆な構成法から、中国的な祝祭性を持った雰囲気も感じられた。