現代工芸への視点・茶事をめぐって(近代美術館工芸館)


 池田巖氏の作品を観る。小さな茶器がひとつ置いてあるだけで、空間全体を支配する。大変に優れている。


岡崎和郎展(神奈川県立近代美術館


 オブジェというものは、閉じた系を物体において概念化したものだ。だからそれは、付随するテキストとの関係において読まれるべきものである。マン・レイなどのオブジェを単体で見せられた時の苦しさもそこに由来する。工業用石膏で作られた庇(脆弱な素材ゆえに未完成品が持っている危うさが良い)や、広島の原爆をテーマにした彫刻などは、自律した美術作品として見る事ができた。


バーネット・ニューマン展(川村記念美術館


 「存在せよ1」は初期衝動が十二分に表れており素晴らしい。モノクロの版画や彫刻も良かった。作家は、メディアを変えることなく、初期衝動の要件たる「経験」を更新してゆかなければならないが、ニューマンの絵画においては、そのことが上手くいかず、停滞して見える作品も多い。


橋本平八と北園克衛展(世田谷美術館


 橋本平八の、小品を含む大量の彫刻を見る事ができたのは大きな収穫だった。エルンスト・バルラハと比較してみたい。北園克衛は、エズラ・パウンドが世辞の中で危惧していたような(私はそう読み取った)、思想無き小デザインに陥っていたことは確かだが、他の芸術分野に対する明察はあったと思う(特に各芸術の未来に関する言辞)。彼岸の眼だけが持ちうる天使のような明察。それが詩人の特質であり、役割でもあるのだろう。