岡崎乾二郎「ZERO THUMBNAIL」展 A-things

岡崎乾二郎作品の大きな特徴として、表現主義的な絵画のストロークを分析し、それを元にストロークのフェイクを再構築して画布上に構成するという、間接的な手法が挙げられるだろう。このことは、リキテンシュタインが抽象表現主義絵画のストロークを漫画風に描いて、タッチなどの絵画を構成する要素を、示差的な言語体系として意識化していたことと似たような問題圏に属するし、岡崎氏が自著のルネサンス*1に於いて、芸術が成立するための条件として、表現の直接性を回避し、媒介的な思考や発明が作品の潜在面に架構されていることの必要性を説いたことにも通底していると思われる。過去に発表されてきた「絵画作品」に於いても、媒介的な思考の産物にまで抽象化された絵画素としてのストロークは、絵具に可塑的なアクリル樹脂が多量に加えられることで、彫刻的とも言い得る造形性が獲得され、絵画/彫刻とでも言いたくなるようなジャンルの再考さえもが促される様態を呈していた。しかし、過去の作品では画布の大きさに見合った複雑なストロークの構成や、それに伴う色彩の多様性が、絵画を模倣する擬態としての性格を作品上に刻印していたのに比べ、今回の展示ではゼロ号とサムホールという極めて小さなサイズに制作の場が限定されていたために、ストロークを規定していたobjectとしての性質が前面に表れていたように思う。その結果として、作品上に顕在化していた無防備な楽天性は、この作家を絵画/彫刻というような形でジャンルの再考を迫るデュシャン的存在から、物そのものヘと成りきる享楽的なobject/popとしてのクレス・オルデンバーグ的存在への生成変化の可能性に晒していたと言えるのではないだろうか。