永瀬恭一さんが、「零のゼロ2010」について書いてくださいました。ありがとうございました。

 http://d.hatena.ne.jp/eyck/20100809

 作品は(外部によって)常に試されるべきである。完璧な展示空間は存在しない(ジャッドが設計した展示空間が、ジャッド以外の別の作品にとってこそ最適な空間であったということはあり得る)(空間を仕切るという行為は、人間に可能な知覚の範囲を前提としている)(そのため、人間以外の知覚者に向けて、展示を開いておくこと)。 以上を前提とするならば、穴の開いた展示壁という「悪条件」(自作と全く異なる考えに基づいて制作された作品の中に作品を設置することも同様に)に自作が晒される様子を観察することは、意味のある行為であったと私自身は考えています(展示場所を主体的に選ぶという行為は、オランダの風俗画がそうであったように、あるドクサに捉えられている可能性がある---デカルトが批判した服装の趣味のように---)。