外部に置かれること

作品を展覧会会場へ搬入し終えたばかりの時は、作品を自身でも上手く認識することができない。自分がいつも制作し、周囲の環境を含めて見慣れていた場所から、外の空間へと作品の在り処が急激に変化することで、知覚が混乱しているのだ。しかし、一晩たってから冷静な眼で、作品が新しく置かれた場所に佇んでいると、空間との親和力を経て、作品に組み込まれた論理自身が語る所の内容が、次第に浮かび上がってくるように感じられて、その時になって、ようやく自身の作品の存在の有り様を外側から了解することができるようになる。生産物が客体として認識され得る条件の中には、そのような社会的な制度が含まれているのではないか。工業製品においても、工場で大量に生産され、積み上げられたばかりの製品と、正規の流通を経て、商店に並べられたものとの間には、微妙な差異が存在しているように思われる。それは、物が化学的に変化するのではなく、見る側の人間が、ある枠組みを通して物を見ているからである。『パリ・ルーブル美術館の秘密』というドキュメンタリー映画の中に出てきた、壁面から降ろされ、額縁を外され、木枠からも外されて、修復・安置された絵画の奇妙な生々しさを、私は忘れる事ができない。

『パリ・ルーブル美術館の秘密』