「伊東豊雄 建築 新しいリアル」東京オペラシティアートギャラリー 

コンピューターや建築技術の発達に伴い、複雑な構造計算や複雑な曲面を形作る施工が可能となったことで、これまでにない斬新な意匠の建築が実現されるようになってきた。伊東豊雄は、このような建築のあり方を「モダニズムを超えて自然へ向かう」という言葉で語っている。しかし、モダニズムの勃興期においても、新たな構造の発明に伴う歴史主義からの脱却*1という構図は存在したのであり、モダニズムさえもが歴史的な一様式となった今、敢えて同様の構図を反復するのであれば、そこにはどのような意味があるのだろうか。例えばそこに、伊東氏が示唆するような、戦争の世紀を超えて、平和を希求するための新しい建築という理念*2を持ってきても良い。しかしそこで考えなければならないのは、「生成する建築」というフィクションが成立したとして、建築する主体が理屈上消去された中で、いかにしてビル・ゲイツジョージ・ソロスのような理念的な資本主義者と異なる方策を指し示すことができるのか、ということだろう。エマージンググリッドのように、確率の領域を導入し、一見主体を消去するかにみえる手法を安易に応用することは、<<ミキモト ギンザ2>>のように、建築の急速なファッション化を招くことにもなりかねない。一方で同様の手法を利用しながらも、興味深かったのは、建築の内部と外部とが入れ子構造のように複雑に錯綜し、住空間から主従のハイアラーキーを排した、<<台中メトロポリタン・オペラハウス>>である。そこでは、これまで仮想世界のなかだけでしか存在しなかったような、人間の身体性を模した空間が実現されており、大きな社会システムの転換の到来をも予感させるものだった。自然を分かつ人工物である建築を、無邪気に「自然」と呼んでしまう感覚には違和感を覚えながらも、異質な構造物が既存の都市空間に置かれたときのインパクトを体感してみたい気分にさせられた。

*1:伊東氏は多くの建築作品において、コルビュジェのドミノ構造に依拠しているように思われる。

*2:伊東氏はインタビューの中で、20世紀を代表する建築家であるミース・ファン・デル・ローエが設計した、均質なグリッド構造を持つ「新国立ギャラリー」で、自身の非線形的な建築に関する展覧会を行なうことの政治的な意義について語っていた。