エミリー・ウングワレー展 国立新美術館

 エミリー・ウングワレーの作品を論じるときに、モダニズム絵画との関連がよく指摘されるようだが、ウングワレー自身はそのような美術史的な文脈の外を生きた画家である。その技術や感覚は、アボリジニの伝統的な儀礼であるボディペインティングや、祭祀のための道具に施す装飾を描く実践の中で培われたものである。ウングワレーは、大地の上に画布を広げ、画布の上を縦横斜め、天地の異同なく自在に動きながら制作を進める。出来上がった作品には、観るために定められた方向はなく、ウングワレーの絵は本来どの方向からでも見ることができるものである。見栄えのために画布を木枠に張り、展示のために画面の方向を決めるのは、商売人の仕事であり、そこにウングワレーが関与することはない。西洋絵画の歴史が保持するディシプリンが一切欠けているウングワレーの絵画からは、画家の感覚や世界観が生々しく観るものに向かって響いてくる。その作品の文法を分析的に記述することは可能であっても、西洋的な文脈で絵画を観ることに慣れた者の眼には、ウングワレーの絵画は異質なものとして迫ってくる。そこでは、モダニズム絵画との類似ではなく、両者がもつ微妙な落差をこそ観なければならないのである。

 ウングワレーは自身の絵画を生み出す精神的な故郷を、「ドリーミング」という言葉で言い表している。「ドリーミング」というのはウングワレーにとっての世界観の全てである。物を観るための、思考するための言語は我々と異なっているが、ウングワレーがアボリジニ独特の世界観を持ち、それが理念となり、作品が生み出されるための場を開闢するためのきっかけとして機能していることは、我々にも理解することができるだろう。あらゆる差異を取り込み拡大する資本主義の運動に従って、モダニズムの文脈に強引に接続するのではなく、ウングワレーの絵画を西洋美術を生み出してきた理念とは異なる独自の「運動」として、西洋美術の横に敬意を持って併置することが必要である。我々がそこから学ぶことは、限りなく大きい。