ラウル・クタールが亡くなった。『勝手にしやがれ』、『突然炎のごとく』のカメラワークは鮮烈という他ない。『突然炎のごとく』は、学生時代にボストンの小さな映画館で初めて観た。主演の3人が歩きながら戯れ、カトリーヌが突然駆け出すシーンがあった。スクリーンに映し出された "Catch me!"という字幕の文字が、今も脳裏に焼き付いている。

櫻井伸也展"Colors"

福岡から茅場町に移転した、HEIS CONTEMPORARYで櫻井伸也展"Colors"を観る。 

http://www.heis-g.com/info.html

5月に観たGALERIE PARISでの個展から、色彩、マチエール共に密度が増している(同時に抑制性も働いていた)。

同様の手法を使いながらも、常に新しいアイデア、構想が画面上で試されており、続けて観ているとその変化を身体的に感じられて面白い。

下記はGALERIE PARISでの個展について書いた記事。

https://note.mu/art_critique/n/na9169b76acf4

同場所にスペースを持っていたBASE GALLERYは、事務所だけを残してアートディーリングに特化したビジネスに業態を変えると知った。金融街の近くで、自負心を持って、そのような商いをしてゆくという姿勢が興味深い。

 埼玉近美で竹岡雄二を観て後、世田谷美術館でマヌエル・アルバレス・ブラボを観た。竹岡も面白いところがあるが、ブラボは特に良かったのでカタログも買った。長期に渡る研究を反映し、内容も充実している。ブラボの写真は全てが比喩になっており、凄まじい詩的深度をたたえている。考え抜かれた構図でありながら、決定的瞬間を逃さない。場所と時間が持つ一回性と、その背後にある世界を、ここまで強く刻印できる写真家を他に知らない。

「お気持ちの表明」について

 天皇にまつわる様々な伝統を継承しつつも、人間宣言を経た後の象徴天皇であるからには、土葬などの前近代的な風習を辞め、重い殯の儀なども可能な限り簡素化し、生前退位も認めて欲しいと。天皇憲法皇室典範によって縛られ、国政に関する権能を一切持たないが故に、自ら制度の外に出ることは叶わないので、「お気持ちの表明」という形で(改憲もしくは法の改正が可能な)主権者たる国民の理解を間接的に求めるという、極めてアクロバティックな事態であったと思う。生前退位をすれば、崩御後の身体は、厳密には天皇の生身の身体ではなく、葬儀に関するしきたりも、簡素化へと傾きやすい。天皇の役割を、伝統的な儀式を執り行う、伝統の継承者であり、かつ、国民の統合の象徴的役割を担う名誉職的な存在へと、可能な限り縮減し、真の意味での人間的自由の領域を幾らかでも確保することで、天皇の人間化を進めつつ、想像の共同体たる、国民国家の新しい在り方を提言しようとされたように読める。

 先日まで開催していた時のかたち展にて、同じ出品者である80歳の大先輩と知り合い、母校の中央大学出身の画家が意外に多いということを教わった。美術研究会というものがあって、小茂田守介など、当時活躍していた画家が幾人も出ているとのこと。小茂田と美術評論家洲之内徹との関係についてや、松本竣介駿河台のニコライ堂を描いていた時代、同じ空気を吸って交流していた様子などについて、楽しくお話を伺った。