「お気持ちの表明」について

 天皇にまつわる様々な伝統を継承しつつも、人間宣言を経た後の象徴天皇であるからには、土葬などの前近代的な風習を辞め、重い殯の儀なども可能な限り簡素化し、生前退位も認めて欲しいと。天皇憲法皇室典範によって縛られ、国政に関する権能を一切持たないが故に、自ら制度の外に出ることは叶わないので、「お気持ちの表明」という形で(改憲もしくは法の改正が可能な)主権者たる国民の理解を間接的に求めるという、極めてアクロバティックな事態であったと思う。生前退位をすれば、崩御後の身体は、厳密には天皇の生身の身体ではなく、葬儀に関するしきたりも、簡素化へと傾きやすい。天皇の役割を、伝統的な儀式を執り行う、伝統の継承者であり、かつ、国民の統合の象徴的役割を担う名誉職的な存在へと、可能な限り縮減し、真の意味での人間的自由の領域を幾らかでも確保することで、天皇の人間化を進めつつ、想像の共同体たる、国民国家の新しい在り方を提言しようとされたように読める。