セミ 作品の変遷

 今年はセミが鳴きはじめるのが遅いと思っていたが、ある日を境に一斉に鳴き始め、もう死骸が転がるようになった。樹が無くなればセミもいなくなる。樹がある限り、セミの生と死も続く。

 大分での展覧会のために発送した作品は既に会場に届いたようだ。こうした作業は前倒しで済まさないと、後々のスケジュールに支障をきたすのは分かりきっているので、速やかに終わらせるに限る。選んだのは、大小合わせて6点。古いものは今年の始め頃には描き終えていたもので、逆に新しいものは7月に入ってようやく完成した作品である。展示は、制作が辿ってきた変遷が時系列に沿って確認できるような形にしたいと思っている。また、小品展には本展に展示する作品の系列から零れ落ちるものを選んだ。幾何学的な抽象を脱して、筆によるストロークを用い始めてからの作品の発表は今回が初めてである。今から考えると、幾何学的な作品は現在の作品へと至る練習問題であったような気がしている。方法に迷いがある時は、自己による判断を極力排し、ルール(システム)にだけ従うことが有効である。しかし、方法が内面化された後にはそのような厳格さは不要となる。他なるもの(不純な要素)を取り込むことで、自らの方法がどこまで耐えることができるのか、検証することが可能となる。詩法が棚卸され、方法は予測不可能なものを追う。魯迅の道、または杣径(ハイデガー)。