中国美術を導入すること

 先日記事にした「中国の山水と花鳥」展を観たことをきっかけに、中国山水画、特に袁派についてもっと知りたいと思うようになり、日本語で読める文献を探してみたが、袁派はおろか中国山水画に関しても、あまり充実した出版状況にないということがわかった。(未見であるが、ヨーロッパの美術史学の成果をふんだんに取り入れているという、マイケル・サリヴァンの『中国山水画の誕生』には例外的に興味を惹かれた)

 インターネットで検索すると、内容の関連するものとして、関西大学の研究例会での中谷伸生氏による発表の要約を見つけた。

テーマ 狩野永岳と清代袁派─なぜ狩野永岳の評価は明治以降に逆転したのか─

 日本美術史研究における作品評価は、明治以降に確立されたもので、その骨格は岡倉天心によって作られ、その評価は現在でも踏襲されている。しかし、優れた作品を残しながら岡倉天心に評価されなかった画家が数多く存在したのも事実で、その一人が狩野永岳であった。報告の中で中谷氏は、京都狩野派9代目で、幕末に大画面構成の障壁画を数多く制作し、手堅い技法の力量と豊かな表現力を持つ狩野永岳が、岡倉天心の評価から滑り落ちてしまった主な理由として、明治時代以降、近代日本のイデオロギーに則して、西洋絵画の要素を取り入れたものが高く評価されたが、それに反して狩野永岳の作品は清代袁派の影響を受けて中国風の作風であったこと、狩野派の粉本主義に対する批判的立場が観念的に固定されたことを挙げ、その上で、狩野永岳の作品のような中国文化の影響を受けた日本美術を徹底的に再検討、再評価するべきで、日本美術史研究においては、東アジア美術史という観点を導入して、作品の質を新たに問い直す作業が必要であり、岡倉天心らがつくった枠組とは異なる新たな日本美術史の価値体系を形作るべきであることを指摘した。

http://www.csac.kansai-u.ac.jp/kankyou16.html

 中国美術の日本美術に与えた影響には決定的なものがあるにも関わらず、岡倉天心イデオロギーに左右された結果、いまだに日本美術史研究のなかでも中国の影響を強く受けたものを排除する傾向があるという現実が伺える。国内で中国美術の研究が盛んでないことには、このような要因も作用しているのだろう。同様の文脈に対する批判として、以前、磯崎新氏が日本建築の和様化に対して、東大寺南大門の建築を指揮した重源を対置していたことを思い出した。

 記事には書かなかったが、「中国の山水と花鳥」展には、米法山水という横長の筆触を使う王概の作品も展示されており、セザンヌとの関係を思わせたし、展覧会には無かったが、元末四大家の一人とされる黄公望の作品からは、風景画におけるレオナルド・ダヴィンチとの類縁性を強く感じる。

 西洋美術に対してナショナリズム的に日本美術の特異な価値を主張し、その他はオリエンタリズムの論理に従って切り捨てるのではなく、中国美術を具体的に(観念的にではなく)観ることで新たな展望が開けてくるだろう。それは、日本人が観念的な蒙昧性を破り、唯物論的な認識を持つきっかけにさえなるはずである。