塩田千春

 横浜の神奈川県民ホールで塩田千春展を観る。塩田はドイツ在住の作家である。巨大な建築物に毛糸を張り巡らせたり、ピアノを焼き焦がすインスタレーションで知られている。同じドイツということで、ついボイスやキーファーやりヒターを連想してしまうが、実際彼らと塩田との間には共通するところがある。それは作品の中に潜む歴史叙述の方法に関してである。彼らの語り口がいわゆる歴史と異なっているのは、蜘蛛が、作りうる巣の全体のイメージを始めから意識してはいないのと同じように、前もって語りうる全体が見通されているのではなく、制作という行為を通じて、事後的に歴史の特殊な局面を観る者に経験させるという形式のあり方である。このように叙述と形式が一体化された場においては、フォーマリズムの観点から、美術という形式のファンダメンタルズに対する思考の不徹底さを単に攻撃することだけでは、もはや状況に対する有効な批判とはなりえないことが指し示されるだろう。それは集約された原理(倫理)に従って、資本主義的な生産様式を批判しようとする社会主義が、全体の動きの自由を優先する市場原理を、決して完璧には捕捉することが出来ないことに似ている。

 展覧会の帰りに中目黒で電車を降りて目黒川沿いを散歩しながら代官山のギャラリーまで行き、その後渋谷まで足を伸ばすと、宮益坂御嶽神社で酉の市が行われていた。坂の途上に、普段は見かけないいくつもの屋台が出ていたので気がついた。御嶽神社にある狛犬は、全国的に見ても珍しいという狼を神格化したものである。長い石段を登り、神社に参拝をして、狼の図があしらわれたお札を買った。神社があるせいなのか、宮益坂のあたりは落ち着きがあって、渋谷の中でも好きな地域である。路上に大きく張り出した並木が、坂道に影を作っており、失われつつある鎮守の森の面影がそこはかとなく感じられる。坂の八合目あたりにある、開くことのないはかり屋の隣に、以前よく通った正進堂という古書店があったのだが、店主が高齢であったため何年も前に店は閉められ、跡地は駐車場となってしまった。洋書や学術書美術書が、あまり整理されずに、大まかに並べられ積まれている店の佇まいが好きだった。