埴谷雄高『死霊』展

 去る嵐の日に、神奈川近代文学館へ「無限大の宇宙 埴谷雄高『死霊』展」を観にいった。原稿やメモ、書簡から身の回りの品々を通して『死霊』が書かれた背景を探る展示である。天井から吊り下げられていた、幾何学的で清澄なデザインの般若家の家紋に驚かされる。学校時代の成績表なども展示されており、評価はほとんどが「甲」だった。とても器用な人のようで、絵も上手いし、若い頃は「近代文学」同人に自宅でダンスを教え、会のカメラマンを自任するほど写真を撮ることも好きだったようだ。文学から政治活動に、趣味なども含め、あらゆる行動にそれに伴うはずの躊躇や距離感というものが無く、対象を認識した瞬間にすでにそれへと到達しているという印象を受けた。そのような距離の無さというものは、『死霊』という小説の中に絶えず響いている、無限の明るさのようなものへと通じているのかもしれない。埴谷は昔から宇宙への興味が強く、展示中にも宇宙から飛来したニュートリノが富士の山頂へと到達するという詩的イメージに関する言及が見られた。南方熊楠は「縁起」という概念について、「縁」とは二つの事物が出会い、互いに干渉せずに通過してゆくもので、「起」とは二つの事物が出会い、そこで何らかの反応が起こり、物事が始まる起点となるものであると定義している。強い相互作用と電磁相互作用がないニュートリノのような中性微子は、透過性が非常に高いため、原子核反応などに比べて粒子間の衝突が難しい。熊楠の「縁起」に強引にあてはめるとするなら、ニュートリノが「縁」となり、原子が「起」となるだろうか。重ねて言えば、観念に観念を重ねるような埴谷の文学は「縁」であり、具体的な政治は「起」となるだろう。縁と起、文学と政治のうちのどちらかが重要というわけではない。それぞれにはそれぞれの役割があり、埴谷は概念による他概念への越権行為を批判したカントに習い、また自身の文学観に基づいて、観念としての文学を徹底したに過ぎない。そして、そのように鍛えられた観念こそが現実を構成するのだということを、埴谷は理解していたに違いない。埴谷のニュートリノの発見に対する喜びとは、そのような質のものであったと感じている。