毛沢東の書

uedakazuhiko2005-09-30


写真は毛沢東の書である。
鞭がしなるような独特の書体は狂草と呼ばれ、草書が発展したものだ。
これを物するためには荒ぶる筆の揺らぎを統御しなければならず、習得は難を極めるらしい。

毛沢東の書を眺めていると、老子が残したエピソードを思い出す。
ある日、川の濁流を前にした老子は、いとも容易く川に飛び込み、数分後、見ている者がもうだめかと観念した頃に、向こう岸に勢い良く顔を出したという逸話である。
老子は水の流れに完璧に身をまかせることで、濁流が支配する水中をくねるようにして、道を探し、向こう岸に辿り着いたというのである。

中国では不定形なものの中に秩序を生み出そうとする思想が、時に爆発力を持った表現をなすことがある。
西洋人の中でもレオナルド・ダ・ヴィンチジョン・ケージにはそうした資質が存在するし、彼らも中国から何らかの影響を受けていたことは確かだろう。

毛沢東は「中国人」という級数的で捉え難い存在を統治する上で、民衆的でアナーキーな領域をも積極的に取り込んだ。狂草を極めるというのは、そうした両義的な状態に身を置くことを進んで引き受けることを意味するのだと思う。

『小鳥たちのために』ジョン・ケージ(著)

『毛沢東語録』

『老子』