「お気持ちの表明」について

 天皇にまつわる様々な伝統を継承しつつも、人間宣言を経た後の象徴天皇であるからには、土葬などの前近代的な風習を辞め、重い殯の儀なども可能な限り簡素化し、生前退位も認めて欲しいと。天皇憲法皇室典範によって縛られ、国政に関する権能を一切持たないが故に、自ら制度の外に出ることは叶わないので、「お気持ちの表明」という形で(改憲もしくは法の改正が可能な)主権者たる国民の理解を間接的に求めるという、極めてアクロバティックな事態であったと思う。生前退位をすれば、崩御後の身体は、厳密には天皇の生身の身体ではなく、葬儀に関するしきたりも、簡素化へと傾きやすい。天皇の役割を、伝統的な儀式を執り行う、伝統の継承者であり、かつ、国民の統合の象徴的役割を担う名誉職的な存在へと、可能な限り縮減し、真の意味での人間的自由の領域を幾らかでも確保することで、天皇の人間化を進めつつ、想像の共同体たる、国民国家の新しい在り方を提言しようとされたように読める。

 先日まで開催していた時のかたち展にて、同じ出品者である80歳の大先輩と知り合い、母校の中央大学出身の画家が意外に多いということを教わった。美術研究会というものがあって、小茂田守介など、当時活躍していた画家が幾人も出ているとのこと。小茂田と美術評論家洲之内徹との関係についてや、松本竣介駿河台のニコライ堂を描いていた時代、同じ空気を吸って交流していた様子などについて、楽しくお話を伺った。

BATTLEFIELD『マハーバーラタ』より-戦い終わった戦場で-

 新国立劇場で、ピーター・ブルック演出のBATTLEFIELDマハーバーラタ』より-戦い終わった戦場で-を観た。

 戦争、殺戮、贖罪、生命の円環。

 基底音たる太鼓の響き(時間の表象であると共に目前に広がるガンガの流れが彷彿として浮かび上がる)と役者の身体・身に着けた幾枚かの布によって、死の運命を司る小さき蛇から、少年の体内に広がる入れ子状の宇宙までを雄弁に描いている。

 よく練られた脚本と、よく訓練された身体・発声があれば、いかなる舞台装置よりもイメージを喚起させうる(的確に計算されたライティングが脇を固めているのは当然として)。演劇の王道。しかし、時間の先端においてこれを達成し続けることの苛烈さが偲ばれる。