言葉を発するということが、他人の言葉を発することに他ならない時、人は何を語ることができるのか。危機においては、自律的な言論そのものの危機が明白となる。暗闇の中で、人間は情報を伝達するための純粋な媒体になりきると同時に、そのことに抵抗しようとするだろう。その時、他から与えられた祈りの言葉は、言葉の無政府状態の中で燦然と輝くだろう。自ら信じることができない、読むこともできない文字列を不器用に口ずさむこと。切り詰められた生は、自らが決して語ることのできなかった言葉によって救われる(生き残った瞬間にすでに言葉があった)。
 なぜ隣人が死に、私が生きているのか。生は無根拠である。言葉は、無根拠な生に指令を与える。狭間から。生と死は呼吸して生死となる。その縺れは解かれない。