青山二郎 北大路魯山人

 世田谷美術館で「青山二郎の眼」展を観て、その足で日本橋三越北大路魯山人展に行く。世田谷美術館のある砧公園は、小学生の頃毎年遠足で訪れていた場所であり懐かしい。子供のころは、公園が果てしない大草原に見えたものだが、今見ると、昔の記憶に比べ随分こじんまりとした印象である。青山展は回顧展と呼ぶべき規模のもので、若かりしころにコレクターに依頼され、膨大な写真入りの目録を制作したときに選んだ古陶磁から、織部李朝のやきもの、小林秀雄や白州正子に受け継がれた趣味物、文学者達との私的な交流の中で生まれた膨大な装丁の数々を展観することができる。圧巻は、初期の展示室にあった中国の呉須赤絵の大皿で、赤い釉薬を基調とした奔放な筆遣いが、その器格を破格なまでに高めており、「陶器の世界性」を理念として語る青山の言にも頷ける部分がある。しかし、後半に展示してあった、「青山学院」内で愛玩されていたことで名を高めた、李朝を中心とした器物には、コレクター心を惹きつけるその歪んだ趣きや、古色然とした佇まいに、個人の思い入れによって過剰に押し付けられた汚らしい趣味感覚が透けて見え、辟易とさせられるものも見られた。勿論、個々の物には罪は無い。骨董という価値付けのゲームに於いては、箱書きが象徴しているように、その「目利き」による蒐集がどのような系譜を辿り、今目の前にある品へと趣味判断の約定がなされているのかが問題となるのであり、それは畢竟「目利き」の生き方を語るのである。物は歴史の中で夥しく生み出されてきた物の一つでしかないが、それは選択されることで、主体による価値付けの一断面を観るものに伝えてくる。己の「眼」のみを信じ、最終的に、近視眼的な趣味の共同体に文化人を幽閉することしか出来なかったのが青山二郎であるとすれば、その対極にあるのが北大路魯山人だろう。魯山人は趣味というドクサを信じない。魯山人にあるのは、陶磁器に対する見識と自らの手への信頼である。器は、料理を盛り付け、花を生けるものに過ぎないというザッハリヒな認識は、魯山人の作り出す陶磁器に抑制と素直な姿勢を与えている。青山とその周辺が愛でた趣味が既に死んだものであるのとは反対に、魯山人が作り出した陶磁器はまだ生まれたばかりである。その器は、昭和の「目利き」達が喜んだ約定の数々を千万里と突き抜け、これからも成長を続けてゆくことだろう。