地方都市

先日宇都宮に行って感じたのは、地方都市が持つネットワークの過密性だった。東京のような大都市とは異なり、地方都市では競合する専門店の絶対数が少ないために、一つの店舗が持つ「情報量」としての比重が相対的に高くなる。一つの店舗の存在は、都市の布置に決定的な変化を生じさせ、川の流れに沿うかのようにして人々が集まり、物や情報が眼に見えるように交換されている*1。もちろん大都市においても、物や情報の交換は日々物凄いスピードでなされてはいるのだが、その速度や量が極度に集中しているために、本来、それぞれに精妙な秩序を形成しているであろう交換の過程が、ランダムウォークのように感じられてしまうのである。
巡回展を開いて頂いたギャラリーは、画材店でもあり、そこは宇都宮市内の美術情報が集積するセンターの役割を担っているようにも感じられた。展示に附随して企画された、すどう美術館の須藤一郎氏によるトークショーには、普段からお店と関係のある美大の学生や、美術系予備校の講師の方などが来てくださり、話をする機会を得たのだが、店やそれぞれの方同士が実に良くコミュニケーションを取れていることに感心する。そこでは当たり前の光景であっても、外から来た者にとっては、まるでロシアの芸術家同士の密なネットワークを彷佛とさせるようで、新鮮だった。ある学生の作品ファイルを見ると、都内の画廊などではあまり見ることのないタイプの、面白い作品を描いていた。場所の差異による、「情報」*2がもつ形態の異同というものに非常な興味を持ったが、地方都市にはそれでも、そこから一つの美術運動を他の地域へ発信するほどのポテンシャルは存在していないようであり、少し残念に思われた。しかし、どんなに個別でローカルではあっても、読みとるに足る活動を積み重ねてゆけば、生命の進化に比するような言説が発生する可能性は、常に存在するだろう。

*1:そこには、口コミなどによる外側からは見えないネットワークも含まれる

*2:外部から刺激を受け止めて、生産するという意味での