ブライス・マーデン 「ムーン1(1977)」

東京都現代美術館の常設展示室に、ブライス・マーデンの作品が展示してあるという話を聞いたので観に行った。それは「ムーン1」というタイトルが付けられた作品で、サイズは213.4×304.7cmと、かなり大きい。しかし、その大きさは、多くの凡庸な作品に見られるような、ただ縮尺を引き延ばしただけというようなものではなく、作品のスケール自体が、作品にとって不可欠なメディウムとして機能しているように思われた。この作品を描いた1970年代に、マ−デンはギリシャ文化に強い関心を抱き、土地を定期的に訪れたり、ギリシャ文化に関連した書物の読書を行なっていたという。作品の前に立った時に感じる、スケールの異様な感覚は、建築を前にした時に人間が初めて受け取るような、相対的な大小の感覚なのだろうか。絵画のサイズは、通常絵画としての大きさとして認識されるのが普通で、絵画の外部にサイズを認識する上での何らかの参照物を直接想起するような経験は稀である。自然界には、明確な大きさの基準となる物はなく、人間は建築のような人工物を建てることによって、客観的な自己像を感知する。マ−デンのこうした試みは、外的な異物を意図的に引き入れることで、世界を開示するための条件を探究しているとも読めるだろう。タイトルの「月」を相対的な位置関係の把握や、主体が観照に使用するための装置と解釈すれば、より説得力が増してくるかもしれない。縦長の三枚のキャンバスを組み合わせた形式(両側が紺色で、中央がオフホワイト)には、神殿建築が持つ、垂直性への志向が見られるし*1、油彩と蜜蝋を混ぜ合わせ、表面の物質感を強調することで、観る主体が絵画空間と同一化することを避け、見るものと見られるものとの境界領域が明確に画定されている*2。マ−デンはギリシャ建築が象徴するような、人体比例や数的関係といった理性的な秩序を絵画に導入することで、前世代の抽象表現主義に分類される画家たちとの差異を際立たせている。そこには、ロバート・ラウシェンバーグジャスパー・ジョーンズといったネオ・ダダが、単に暴力的な身振りとして反抗してみせた事態とは異なり、絵画的思考によって前世代の仕事を批判的に乗り越えてゆくための積極的なヒントが見い出されるだろう。ネオ・ダダが政治的な革新をやってのけた後、作品制作という実践の場において急激に失速し、貧弱に衰えてゆく晩年を耐えねばならなかったことに比べ、高齢になっても豊かな制作を行なっているマ−デンの姿は非常に示唆的である。

*1:同じ垂直性を志向してはいても、バーネット・ニューマンはより観念的であり、マ−デンは(物体に則しているという意味で)より具体的である

*2:マーク・ロスコとの比較