『愛より強い旅』 トニー・ガトリフ監督

久々に見るロードムービーらしいロードムービー。自身の音楽に行き詰まった主人公が、自らの出自を求めて、恋人と共に、パリからアンダルシア、モロッコを経て、アルジェリアへと向う。貧乏旅行に加え、天性の非常識さが、二人の珍道中に拍車をかけている。旅の途上では、世俗的な人生の悩みはどこかへ消え失せている。目まぐるしく変わる環境の変化や、次々と起こる問題に対応することに追われ、線路上を徒歩で歩いている時のような、危機感の中にある冷静さのような場所に心が追いやられている。数日間に渡る、圧縮された時間を生きた主人公は、幼い頃に過した、今は他人が住んでいる家に迎えらられ、そのままの形で残されていた壁画などの調度品が、記憶の痕跡に触れることで、強烈に時間感覚を揺り戻され、号泣してしまう。パートナーの女は、最初旅に誘われた時には、まったくもって理解し切れなかった、恋人のアルジェリアへと向けられた唐突な情熱の理由が、共に過してきた張り詰めた時間が氷解するかのようなこの場面において、一瞬だけ垣間見えた気がするのだった。映画のクライマックスは、リラの儀式に参加する場面。大音量でスーフィー音楽が演奏される中、短く連続的なリズムに合わせ、頭を激しく振って踊りまくる二人は忘我の境地へと入ってゆく。
映画の形式を見ると、同じロードムービーを多く撮ったヴェンダースの作品とは極めて対照的である。テクノ、フラメンコ、スーフィー音楽など、音楽は全編に渡って途切れることなく展開されており、カメラワークもアップや下からあおるような視点が積極的に採用され、とにかく良く動く。色彩も鮮明であり、憂いの影は殆ど見られない。ヴェンダースエドワード・ホッパーの絵画を映画に落とし込むように人工的な構築物として、映画を作ってゆくのに対して、ガトリフは自然美や自然光に照らされた世界を何のためらいもなく称揚している。ストーリーの作り方にしても、ヴェンダースが物語性に対する疑いを踏まえた上で、多分に形式的な象徴性をカットごとに担わせているのに対して、ガトリフは都会で疲労した精神の健康を、自然溢れる故郷への旅で取り戻すなど、至ってあっけらかんと紋切り型であると言える。好意的に解釈するとすれば、ジプシーを出自とする監督自身の健康的な肉体性や、中心に対する周縁が持ち得る、歴史遺産の無尽蔵さでもって、映画の閉塞状況を突破しようとする気概に溢れているとも言えそうだが、一方でそのような力を過信するナイーブさが、どこまでフィルムが持つ本源的な持続作用に拮抗し得るのかという疑問も感じさせられた。

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