リュック・タイマンス展 ワコウ・ワークス・オブ・アート
リュック・タイマンスの作品は、ポラロイドや映像などの先行するイメージを手掛かりに描かれることが多い。描かれているものは、人物や室内、風景や植物など多岐に渡っているが、いずれも対象と映像とのズレが更にそれを絵筆で描くことによって増幅されており、奇妙な歪みや単調な色調が作品の大きな特徴となっている*1。一見アバウトにも見える、形態や色調は、実はキャンバスの上で作家によって周到に整理・操作されており、絵画的な論理性の中で固有の居場所を与えられているようにも感じられる。だが同時に、タイマンスのそうした繊細で独自のマニエラとでも言えそうな所作は、90年代以降の安易な「絵画への回帰」を国際的に主導して来たという功罪を孕んでもいるだろう。タイマンスとそれに連なる「具象的」な作家達は、「物の見方」*2としてのデッサンを回避しており、そこでは認識能力に関わる先験的な形式が排除(外部に委託)*3されている。このような事態は、カントが「経験論を、それが確実な出発点とする感覚データがすでに一定の形式によって構成されている」*4として批判した内容の単なる焼き直しに過ぎないのである。