伊藤若冲 「動植綵絵」

皇居の大手門内にある、三の丸尚蔵館伊藤若冲の「動植綵絵」を見た。若冲の絵は形態への意志と写生とが特異に切り結んでいるという観点から、西洋画におけるセザンヌと似た位置にあると思われた。同じ江戸時代の画家で言えば宗達光琳、西洋ではセザンヌから影響を受けたと言われるキュビズムのブラックとピカソなどが、形態の追求へと軸足を大きく踏み出しているのに対して、若冲セザンヌウィトゲンシュタイン的な意味での世界の「事実」*1を追求したいという内的な欲求から写生という方法を終生手放さなかったのである。しかし、写生の本質的な追求が英雄的な失敗に終わるということは、ジャコメッティーの出現を待たずとも想定されていたことであって、若冲セザンヌはその「失敗」を自らの画中に予め織り込んでいた。それは、セザンヌにおいては対象の歪み*2であり、若冲においては画面全体を覆い尽す描写の強度である。例えば若冲の絵を見る時、画中全ての細部にピントが合っていることから、人は画面全体を等しく凝視することが求められているのであり、視線は動植物に与えられた細部から細部へと流転を繰り返し、終いには統一された像を結ぶことが断念され、画面は解体してしまうまでに至る。また「群鶏図」などを見ても明らかなように、まるで鋲で留められたかのように描かれた複数の眼は、等しく見る物の視線に対峙しているのであり、そこに主体を分裂へと誘う契機をも蔵していると言えるのではないか。若冲の絵が象徴的価値を持ち得るのは、このように凝集されて描かれた細部が、分解へと至るポテンシャルを同時に秘めているためである。そして、画面上に注意深く引かれた導線が色彩と形態間の視覚的交換を背後から支えているのだ*3

*1:論理哲学論考

*2:後の画家ではジャコメッティー以前にはマティスへと受け継がれている。

*3:若冲の絵は表の描写に対して背後の導線を優先させる場合に、動植物に対して故意に不可解な動きを取らせている。