パウル・クレー(承前)

クレー作品の構造は、勿論タブロー全体に対する分節として捉えられるものであるが、同時に個々の小さなユニットに分割できる可能性も有している。先日の文章の中で、「空間を画面の内側に無限に織り込む」と書いたのはそのような意味を含んでいる。クレーの『造形理論ノート』を読むと、それ以上に分割出来ない最小単位の造形物を始まりとして、そこからいかに展開してゆくことができるのか、またどのように接合、再分割が可能であるかが多くの図版を用いて示されている。クレーの絵画を見ると、全体では複雑で大きな構造を持っているように見えたものが、実はそれらと相似形の縮小された単位の集積で成り立っている、というようなものがいくつも存在している。それら小さなユニット構造は、いくつかの部首が組み合わさって出来た単位が、固有の意味を生成させている漢字と近しい関係にある。漢字は「ハネ」や「ハライ」などの細部を有した部首が幾つも集まって一つの文字を形成し、更にその文字が組まれて文を形成している。

クレーと同様の問題を共有している作家として、ブライス・マーデンがいる。マーデンのや初期のシリーズを見ると、漢字から触発された造型思考が明確に見えて面白い*1。その後、マーデンのシリーズはより有機的に複雑化し、画面はオールオーヴァーな状況を呈するに至るが、更に後のになると、再びユニット性が全面に出て来るようになり、オールオーヴァーとは異なる単一性の中での複数の運動が前景化してくるように思われる*2。このような内部に運動する要素を孕んだ単一のユニット性という問題構成は、スーザン・ソンタグの「キャンプ」概念にも通じている。文を構成せずとも、単一の文字だけで意味を成立させる(させない)という存在様態は、真にインターナショナルな展望をも開いているのである*3

*1:クレーは世界中の古代からなる絵や文字など、膨大な記号を渉猟しており、東洋の漢字から霊感を受けたマ−デンとの邂逅はある意味当然だが、西洋人であるマーデンが友人から偶然貰った寒山の詩集を元にクレーと同様の問題領域に入ったことが興味深い。ブライス・マーデンの伝記的事実や作品展開に関しては、林道郎氏の『絵画は二度死ぬ、あるいは死なない』第2集:Brice Mardenに詳しい。http://www.arttrace.org/books/details/live_twice/marden.html

*2:このあたりの状況はアンソニー・カロの「テーブルピース」とも接木できる問題だろう。

*3:ここで、建築に対する家具の問題を考えてみると面白いかもしれない。ル・コルビュジェミース・ファン・デル・ローエも自身の設計した建築の縮小モデルとして椅子などの家具を熱心に設計している。勿論それぞれの理念としての建築は、様々に形を変換しながら世界中の建築に影響を与えているのであるが、オリジナルと寸分違わぬ現実の物体として、真に世界中の場を占拠しているのは単一のユニットとして成立する椅子の方であった。