ヨハネス・イッテン 造形芸術への道

uedakazuhiko2005-12-15


ヨハネス・イッテン(1888-1967)の活動を俯瞰してみる時、まず目につくのは、色彩と造形と教育がしっかりと切り結んだ、その特異性だろう。イッテンにとっては、そのうちのどれか一つが欠けることも許されなかった。イッテンの美術思想の根柢にあるのはコントラスト(対比)という概念であり、色彩と造形の法則を形式的に探究することで、個々の人間に固有の性質を発見することまでがめざされたからである。

例えばイッテンは色彩を、純粋な三原色から、虹やスペクトルの色帯に対応する12色の円環へと拡張した「12色相環」や、「色相」「明暗」「寒暖」「補色」「同時的」「質」「量」など、7種類のコントラストへと厳格に分割しつつもそれだけに留まらず、四季を個々の学生の感覚に従って色で表現させるなど、「主観的色彩」にかんする実験も行っていた。

イッテンは、色彩を科学的に分析すると同時に、あくまでも、色とは個々の人間が他でもない自身の感覚に従って、この「私」だけが感じるものである、という余地を残したのである。このことは、浩瀚な『色彩論』を著したゲーテの次の言葉、「最高のことは、すべての事実がすでに理論であるということを把握することである。空の青はわれわれに色彩学の根本法則を啓示している。さまざまな現象の背後に何かを探し求めてはならない。それら自らが学理である。」を思い起こさせる。つまり、色彩を感じるという経験は外的なものと内的なものとの緩衝点にあり、それが人間の肉体を媒介として現れるということだ。ここでも異なる力の対比こそが、知覚を生むというイッテンの思想が明確に見えてくる。

造形についてもイッテンは、形態の基本を、正方形(水平垂直運動)と円形(循環運動)と三角形(斜め方向の運動)に分け、さらに素材感、大小、比例や、高-低、濃-淡、広-狭といったコントラスト間の差異による変換を機械的に繰り返す一方、吠える虎を描く前に、実際に自分たちも吠えてみるなど、ユニークなワークショップを行っている。形態を外側から分析するだけでなく、内的な感情の表出と造形とを結び付ける試みが行われているのだ。

こうしたイッテンの方法論は、日本の美術教育にも大きな影響を与えているが、日本では分析的な面だけが取り入れられ、内的な面がないがしろにされている。例えば、美大の受験科目である、石膏デッサンで行われていることは、実際には先行者の描いたデッサンの模写である。「デッサンとは物の見方」(ドガ)であるとすれば、無感動に「死体」を描き写すことが初学者の感覚をどれだけねじ曲げるか、知れたものではない。

イッテンの対比主義は自身の作品にも強く表れている。造形上の強い効果同士をぶつけることは、画面を破綻に近づけずにはおかない。構成上のバランスから水平と垂直にこだわったモンドリアンに比べ、イッテンは一切の躊躇もなく斜線を導入する。(テオ・ヴァン・ドゥースブルフも斜線を入れたがイッテンに比べ、構成が破綻なく精密である)異なる色を連続して重ねると、最後には灰色が現れるように、画面上に斜線を入れ続ければモノクロームの闇が待ち受け、最後には構成を失うだろう。このことからもわかるように、イッテンは調和の取れた傑作を完成させることには無関心だった。それよりも、造形する過程が導くポテンシャルの高みこそが重要だった。イッテンのこの急進主義は、常に有か無かという選択を主体に迫る危険に満ちたものだった。そしてそれは、後にアメリカでニューマンやポロックといった悲劇的な美を作動させた原動力なのだ。この、日本ではじめての展覧会を通して、わたしたちはイッテンから、かたちが形になるまえの無数の調律の響きを学ぶことだろう。造形への道は、人生が修練となって立ち現れる時にのみ発見されるのだ。