「歴史の歴史」杉本博司展  

歴史は過去を意味しない。時間の記録が原理的に不可能である限り、それは物質に刻まれた無数の出来事の断片を、現在性において再構成することでしか見えてこない。歴史家は、無時間的な闇に堆積した出来事の地層に、作為をもって介入し、個々の出来事に照射した光の反射を一幅の物語として織り上げてみせる。こうしたことを前提とした時、「歴史の歴史」展で杉本博司が我々に想起させるのは、美術家のまったく新しい仕種、物質の歴史家という相貌である。観念は物質に宿るとする、この唯物論者は、芸術の歴史を「物質の歴史」として読み替え、世界に対面した際に人間が受け取るであろう根源的なヴィジョンが、いかにして形相を介した物質化を実現してきたかを、古美術のなかに探ってきたのである。  

この展覧会は杉本の作品と、氏の古美術コレクションとの対話によって成り立っている。おなじみの海景写真や、ジオラマ写真のそばには朽ちかけた能面、消毒器に入った翡翠の勾玉、鎌倉時代の古画、木造の女神像のほか、古墳時代の銅矛、車輪石などが鎮座し、各々が異次元に属する古色を帯びた物質同士が、つかの間のあいだその隠逸から脱し、お互いの威容を競い合っている。

「時間の矢」は鎌倉時代に作られた、火焔宝珠形舎利容器残欠に、杉本の海景写真が嵌め込まれた作品だ。一彫もおろそかにしない魚子づくりの火焔彫刻が、極限の凝集力をもって迫るのに対して、円形に切り取られた海景写真の茫洋とした単純な佇まいに、最初肩透かしを喰らうようだが、しばらく見つめていると、今度は中の写真の方が無限大の視覚をもって強力な存在感を示し始める。我々の眼は、まるで過去に見返されるようにして、水平線の支配する無音の空間に吸い込まれてゆく。

1950年代のアンティークのアルミ製救急ベッドに横たわるのは、縄文時代の石棒である。(「男根の遺言」)石棒は男性性器を思わせ、古代の妊娠呪術儀礼がどのようなものであったのかを偲ばせる。生々しい想念を掻き立てる石の造形物が、金属製のベッドの上で末期患者のように冷たく孤立した姿に、我々の慣習的な知覚体系は見事に切断されるだろう。そして振り向きざまに身体を覆う巨大な海景写真が、暗示的で複雑な相の元に見る者を包み込み、風景の持つ捉え難い時間の固有性を再発見させるのだ。

ナイーブな眼で見れば、杉本を時代遅れの頑迷な国粋主義者と見る向きもあるかもしれない。だが、作品「旭日照波」を見れば、そのように見えるのは、単に表面的に装われた、氏の道化じみた諧謔のせいに過ぎないと思われるはずである。タイトルは大正11年に、裕仁が摂政に就任し、初めて迎えた新年の歌会始に詠んだ和歌の題だ。(「世のなかも かくあらまほし おだやかに 朝日 にほえる 大海の原」)当時作られた旭日文様の米国ティファニー社製銀器に、御真影がわりに撮影された昭和天皇の鑞人形像が入れられ、内蓋には日本海壱岐の海景写真が嵌装されている。何という慇懃で不敬なイロニーだろう。昭和天皇統帥権を得た後、急速に破滅へと至った歴史の記憶が、周到に作り込まれた写真を介し、現在性において復讐を果たすのだ。その矛先にあるのは勿論、今や共同戦線を歩む現在の日米関係である。歴史の意味に交換可能性を持たせ、鮮やかにそれを反転させてみせる杉本の手際は見事という他ない。(昭和天皇のイメージは、戦時の荒ぶる将軍から、戦後、平和の象徴としての植物研究にいそしむ物静かな老人へと180度転換した)

また、この日米の対比図式は、今だ日本の美術作家の作品はアメリカで評価を受けない限り、国内においてはサブカルチャーとしてならともかく、芸術としては何ら価値を有さないという、日本の美術界の馬鹿馬鹿しい、ドル=金兌換制を揶揄していることは言うまでもない。これらの作品で杉本は、日本的な「見立て」の手法を西洋美術の「レディメイド」という文脈に移し替え、こうした美術の制度的問題を軽やかに笑い飛ばしてみせるのである。

ここ数年、杉本は瀬戸内海に浮かぶ直島にある、護王神社の再建プロジェクトを始め、徐々に建築の分野にも関わりを持ち始めている。思えば時間という観念の原形を感知させる「建築」に杉本が関心を持つのも当然と言えば言えなくもない。独り図面を引く行為の内に、非物質的な質感を手ごたえとして感じている杉本の姿を、確かに想像できるからである。この展覧会にも数点の建築模型が展示されている。小さいながらも木、天然石、土、光学ガラスによって、精密に組まれた護王神社の模型は遠くから見ても、かつて保田與重郎が「日本の橋」で描いたような、無名で、すなおな美しさを際立たせている。模型の地下道を向こう側に覗いてみると、優しく方形に切り分けられた海景が透明な純粋さをもって空間を満たしている。

「海景遠望水晶球宝塔」は、明治の廃仏毀釈によって廃絶した永久寺という大寺の鉄製宝塔模型を元に作られている。失われた風鐸も、天平時代の様式に習ってリデザインされ(Joaquin Berao作)、宝塔内にはプラスチック製蓮台の上に水晶球が安置されている。その水晶球を通して倒立した海景写真を見た時、時間を丸ごと手に入れる愉楽を、そして杉本の果てしなく享楽を遊泳する姿勢をも垣間見せられた。そこにあるのは、時間という観念を球体に結像させることにより、光学という原理とその化学的現実化との間の差異に存在する、自身の芸術を支える概念を作動へと導く微少な振幅である。

そのすぐ横にある百万塔は、764年の惠美押勝の乱後、称徳天皇が平和を願い、6年の歳月をかけて100万基が作られた。中には世界最古の印刷物である、陀羅尼経が納められている。古の平和を願う心は、長い歳月を経た後、幾万もが空しくも時代の業火に葬られ、現在では法隆寺に残された4万五千基あまりが伝わっているが、それらは現在も刻々と身を削られながら、その細い命脈を生き長らえている。塔が持つ未来的とも言い得る特異な形態の内部に秘められた経典は、内在的可能性として、歴史という未完のプログラムを、咄咄として語り継ぐのだ。杉本が百万塔に幻視するのは、おそらくそれが最後の一基になった時にすら発揮する、儀礼という型がもつ呪術の力だろう。型を型として割り切り、眼を閉じてそれを受け入れるという人間のいかがわしさこそが、また杉本の写真の魅力でもあるからだ。こうした志向を、前近代的な反動と切り捨てることはたやすいが、汗牛充棟を成す概念芸術の分野では、誇大妄想をも辞さない反語的強弁が、閉塞を突破する上で有効な場合もあるだろう。

手持ちの使えるだけの手段を総動員し、「作為」をもって写真の力を最大限に引き出す力。身体性を歴史の荒野に投げ出し、最終的に作品の意味自体を無限遠点に消失させてしまう意志。歴史のなかで無数の消えゆく物を包み込む海の漆黒の闇に、我々は杉本の破壊的な笑いの相貌を見つめるのである。
(メゾンエルメス8階 フォーラム 2003.10.20-12.28)

『歴史の歴史』杉本博司(著)