小選挙区制というレミング

11日は午後から投票に出かけた。会場はいつになく長蛇の列が出来ていた。嫌な予感はしたが、蓋を開けてみれば殆どは自民党に投票しに来た人々であったようだ。小泉の郵政一本槍のメディア戦略の前では、自民・民主どちらが政権を取ったとしても憲法改正へと歯車が向う事実は忘れ去られたかのようであり、好調に業績を伸ばす大企業に今だ厳しく搾取され続けている有権者が、冷静な判断力を持ち得ず、スローガンだけの改革に、生活の変化に対する一縷の希望を託し、レミング*1よろしく殺到する様を見たような気がした。

共産・社民等の零細野党は、階級意識を厳しく国民に突き付ける迫力が欠如しており、口当たりの良い有権者への擦り寄りと、政府批判運動の至らなさがそのまま結果として帰って来た形となった。社会民主主義的アプローチの不徹底さ、中途半端さとは、まさにこのような状況を指すのだろう。野党には革命後のビジョンを明解に語る現実感が決定的に欠如しているのであり、それは有権者がゾーエーの維持機能を国家に求める心理に対して、何ら共感を与えることを否定しているのである。