虫の声

 夜道を歩いて家に近づくと、徐々に虫の音が聞こえてくる。遠くから緩やかな一定のリズムで鳴くものや、無数のごく短い響きでユニットを構成した音色を、金網を金属棒でこするようにばらまくもの、死にかけた蝉が地面に接したまま最後の羽ばたきを低く響かせるように、秋の始まりを暗示するまばらな低音を空気中に静かに浮かべるものなどの声に包まれると、自我というものが消失し、場の環境と一体になるかのようにして方向感覚が失われ、やがて波のような陶酔感がやってくる。

 一般的に虫の音は欧米人にとっては単なる騒音でしかなく、日本人のように「虫の声」を楽しむ習慣はないそうだ。日本人は虫の声をせき止めるのではなく、自身の内側に侵入させて、そのランダムなリズムの方へと身体を合わせてゆく。音を聞く身体は脱領土化され、文化は自然を模倣し、幾世紀を経た後も虫の声を聞く身体は再生産されてゆく。季節の循環に縫い込むようにして、虫の音は記憶に端緒を持たせ、早すぎる死は間接的な再現性を土の中で準備する。

『だんまりこおろぎ-虫の音が聞こえる本』エリック・カール(著)工藤直子(翻訳)