ファブリカ展

コミュニケーション・リサーチセンターと銘打って、ベネトンが世界中の25才以下のアーティストを集めて次世代のヴィジュアルアイディアを探るために設立されたデザイン機関「ファブリカ」。この展覧会は、その10年間に渡るワークショップの集大成。生傷のアップ、妊婦の性器からまさに顔を出す赤ん坊、ビジネスウエアを着たローマ法王など、恐いもの、気持ちの悪いもの、社会的タブーの映像を明るい鮮明な色調で徹底的に追求する。若い身体に鬱積した矛盾やオブセッションや暴力的な衝動を、ベネトンが提供する型に全て吐き出し切ったような爽快さが全身に伝わってくる。

互いに相容れない物同士を強引に結び合わせたり、思わず眼をそむけたくなる物をぶっきらぼうに見せつけたり、デリケートな政治的問題を引っ張り出すのは、ベネトンの常套手段ではないか。これだけ大掛かりなプロジェクトを組むのであれば、今まで見たこともないアイディアや方法論を提出して見せる気概が必要だ。「ファブリカ」の10年に渡る活動が、既存のアイディアをCGで複雑化したり、装飾的にしたりするだけで終わるとすれば、ベネトンはこの国際展において自身の企業生命を危機にさらすことになるだろう。

これは巨大な多国籍資本が、アートを吸い込もうとする大きな実験だ。資本の差異化競争は最終段階に入っており、企業は今後、アートや環境問題を貪欲に取り込んでいかなければ、生き残ることはできない。こうした時流を十数年前から鋭く嗅ぎ取り、いち早く対策を取ってきたベネトンの戦略性の高さには驚きを禁じ得ない。しかし、アートがこのような形で企業に収奪され続けた時に何が起こるのか、これは遺伝子組み換えや環境ホルモン並みに考えられて良い問題ではないだろうか。

『広告は私たちに微笑みかける死体』オリビエーロ トスカーニ (著),岡元 麻理恵 (翻訳)