批評の凋落を嘆く愚か者たち。批評の命脈は、もうとっくに尽きているというのに。批評とは、正しく距離を取ることである。批評が本来住まっている世界とは、遠近法的眺望と全体的眺望が大事である世界、ひとつの立場を取ることがまだ可能であった世界なのだ。『一方通行路』


今、それでも批評が可能であるとすれば、それは、世界の複雑性に拮抗すべく、無数の論理が絡まりあったもの、それ自体が矛盾したものであるほかない。


それは、もはや一国のみの自律した経済が成立しえないのと同様である。生産関係及び、投資主体の複雑化を見ればそれは明白だ。


そこでは、抑圧されてきた「自然状態」が可視化される。「万人の万人に対する闘争」は、潜在面においてすでに始まっている。