「日本の同質性」をひたすら疑う議論には飽きている。むしろ、同質性を否定しつつも不可避的に浮かび上がってくる日本というものの観念に集約されている政治性について議論をした方が生産的だ。岡倉覚三の「アジアは一つ」の背後には当然まだら状の政治性が錯綜している。国際性においてこそ、日本画が発明されたこともその証左であろうし、川端龍子に現代性があるとすればそれは、日本的なるものの中に伏在している多様性の束の中から、各要素を12音技法的に新たに結び直したところにある。そこには結合における他者性が存在するのと同時に、政治性そのものへと転化した線が無数に引かれているのである。