承前

 管理、保守責任は当該企業にある。とはいえ、原発の建設と運転が一企業によってのみ行われてきたというのは、東電が株式会社であることを前提とした建前であって、実際は政官財が一体となって地震国に多くの原発が作られてきた。そこでは、選挙においては少数者の意思が決して反映されないのと同じ枠組みの中で、少数の反対者の声は黙殺されてきた。危険であることの可能性に耳を貸すならば、それがどれほど可能性が少なかったとしても、原発の建設は不可能になる。原発を建設するということは、危険に目を瞑ることであり、たとえ危険が見えていても見えないと言わなければならなかった。子供以外は。反対運動さえも掻き消されてきたのだ。主権者の深い沈黙によって。