twitter作品評

 13日で終了した絵兎展への出品作品について、永瀬恭一さんがtwitter上で作品評を書いてくださっている。

http://d.hatena.ne.jp/eyck/20110212

 一回の発言が140文字に制限されているために、評の全体を見渡してみた時に、文に独特のリズムが生まれているし、分断されたミクロな文の集積が批評という構造を事後的に組み上げているということが、既存のメディアとは異なる可能性を感じさせる。

 作家と批評(メディア)とギャラリー及び公的な美術機関は、それぞれに独立し、独自の見識を持つべきであると私は思っているが、現実には近代的なシステムが成立する以前のレベルで癒着が存在するばかりではなく、日本においては、それぞれが独立・自律した状態で存在し得ているかどうかも疑わしい状況である。

 もし、世の中で行われている全ての展覧会を同一平面上に並べ、全ての展覧会に1行でも作品評が付くというようなことが可能であれば、美術の世界は変わるのかもしれない。


 以下は、永瀬恭一さんのtwitterからの引用。

エジプト関連でフォローしてくれた方にはアレですが、僕は美術家で基本こんなことばかり考えています。ただし、僕はエジプトあるいは中東でおきておることと美術を分けて考えていません。それは美術家の社会参加といったこととは関係がない。作品を考えることはエジプトを、世界を想うことです。 9:55 PM Feb 12th webから

作品を見ることと革命を見ることは連結しうる。同じだとは想いません。あくまで連結です。それは螺旋階段のようなものでつながっている。 9:57 PM Feb 12th webから

たとえば作品を眼差すことに失敗し、作品への道が一段落ちる。革命を眼差すことを見失い、斜め上に認識がずれていく。 9:59 PM Feb 12th webから


 作品を作ることは現実を動かすことであり、動いたものを見て人は考える。