最近目にして良かったもの

 hino galleryで小林良一展。朱に近い強い赤に対しては濃い緑、ピンク色に対しては薄めの黄緑というように、パターンの異なる補色対比を連動させて絵作りをしている。形態も色彩も、予め計算された範囲での作業では全くなく、筆が進むにつれ、その都度判断力を働かせていることがよくわかる。会場で長時間絵を見ていると、作家が話しかけてくださったので、少しお話をすることができた。

 画廊轍で山田正亮展。1950年代後半の四角いモチーフの作品を中心とした展示。慎重に選ばれた数色による色面が入れ子状に配置され、揺らぎを含んだ筆触によって平坦に塗られている。時が経てば、誰の作品と似ているとか、どちらが先かというようなオリジナリティーを競う進歩主義的な判断は末節となるだろう。問題はいかに制作のプロセスに必然性があり、作家が制作の只中に生きているかということだ。山田氏の作品からはいつもそのことを教えられる。

 黒田陶苑で北大路魯山人展。主に晩年に傾倒していたという、銀彩と備前の陶器が集められている。輝ける色彩を含んだ鋭くも趣きのある筆触、良寛詩をあしらった掻き落とし、豊かに銀が擦り付けられた刷毛目。ひとつの器に対して、僅かにひとつかふたつの限られた手法が、その効果を最大限に引き出されるようにして使われている。約束事を守りつつ、作品の清新さを失わないためには、古典に対して孤独に向き合う姿勢が必要である。魯山人はそれを遣り切っている。備前の花入れの素晴らしさに眼を開かれる。手桶花入という趣向の、なんと風雅であることか。