[memorandum]

 天下すべての人がみな、美を美として認めること、そこから悪さ*1(の観念)が出てくる。(同様に)善を善として認めること、そこから不善(の観念)が出てくるのだ。まことに「有と無はたがいに(その対立者から)生まれ、難しさと易しさはたがいに補いあい、長と短は明らかにしあい、高いものと下い*2ものはたがいに限定しあい、音と声はたがいに調和を保ち、前と後ろはたがいに順序をもつ」のである。それゆえに、聖人は行動しないことにたより、ことばのない教えをつづける。万物はかれによってはたらかされても、(その労苦を)いとわないし、かれは物を育てても、それに対する権利を要求せず、何か行動しても、それによりかからないし、仕事をしとげても、そのことについての敬意を受けようとはしない。自分のしたことに敬意を受けようとしないからこそ、かれは(到達したところから)追いはらわれないのである。

老子』 上篇 第二章 小川環樹訳(中公文庫)

*1: みにくさ

*2: ひくい