パウル・クレー展 川村記念美術館

前回大丸ミュージアム東京で開かれた展覧会よりも、質の高い作品が集まっているように思えた。展覧会の構成は、初期の風刺的で文学的な銅版画の時代、中期の実験的に造形の原理を応用した時代、後期の画面が単純化されて、造形原理が過度にキャラクタライズされた時代に分かれているようだ。勿論どの時代にも、クレーの変わらない特質は交錯しているのではあるが、個人的には、中期の作品群が最も興味深かった。中期の作品は、固有の構造を持ちながらも、形態を決定する地点に一回的な身体的身振りの痕跡が伺えてスリリングである。そこには、鉛筆が闇の中を進むという比喩で、自らのデッサンの経験を語ったマティスなどにも繋がる質が存在していた。後期に入ると、形態が決まり過ぎているせいか、作品を読み込む隙が与えられず、つまらなく感じるものも見られた。

川村記念美術館は、常設展示も素晴らしい。美術館に行けば、いつでもレンブラントピカソ光琳マレーヴィチ、ロスコなどの質の高い作品を見られるということには、大きな価値があるだろう。中でも、ロスコがミース・ファン・デル・ローエシーグラム・ビルの食堂のために制作したとされる壁画は興味深い。7枚の連作ということもあるだろうが、ロスコの他の作品に比べて、明らかに異質なる空気を発していることが分かる。マレーヴィチのシュプレマティズムの作品が、その破壊的なコンセプトにも関わらず、ともすれば分析的に単純化されて見えてしまうのに対し、ロスコのこの作品には、作品分析の糸口がなかなか見つからない。2種類の同系色によって、矩形が上下に重なりあっていると表向きは記述することが出来はするが、それだけでは何も言ったことにはならない。作品の巨大さによって、視覚が全面的に色彩によって覆われること、絵画を構成する2色の明暗差が少なく、キャンバスの矩形の中にもう一つの矩形が浮かび上がってくるのに時間を要することなどがポイントなのだろう。クレーの作品と同様に、作品とサイズとの関係が適切であることも作品の成功に寄与している。