折れた刷毛

キャンバスに地塗りを施していたら、刷毛の軸が折れた。水を多く含んだ重みのある毛の部分に対して、キャンバス目の凹凸による抵抗や腕の力が加わって、細い軸には相当な負荷がかかっていたのだろう。「バキッ」という木材の小気味の良い音がした次の瞬間には、手には異様に軽くなった軸だけが残され、キャンバス上には椿が散ったような風情で毛の部分が横たわっている。落下時に音は聞こえなかった。

軸の失われた刷毛を持って作業を続けてみると、腕の力が全ての毛先に対して均等にかかるせいか、思いのほか扱いやすい。そのまま使用を続けることにした。

形態の変化や消耗によって、道具が当初の目的を越えた機能や働きをするようになることはよく起こりうることだ。設計者が計画した機能の範疇の余白にこそ物の価値が滞留している*1。これは建築などにも言えることだろう。逆を言えば、六本木ヒルズに代表されるように、人間の行動を制御して、次なるアクションを設計者がプログラムしている建築ほど、居心地の悪いものはない。浅はかな人間の脳内にある条理を、現実空間にまで拡張されてしまえば逃げる場所がない。

技術の彼岸を指し示しているかのような、ジャン・ティンゲリーの仕掛け彫刻がふと懐かしく思い浮かんだ。

http://www.tinguely.ch/

*1:技術は道具が持つ「サヤ」の部分の扱いから発生する。画家のフランシス・ベーコンは、レンブラントがおよそ考えられる限りの身近にある物品を絵画制作に利用したことを推測している。『肉への慈悲-フランシス・ベイコン・インタヴュー』