東京メトロ、走行中に扉開く

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20050816STXKC048316082005.html

午前8時17分頃ということは、満員電車であった可能性が高い。
窓際には乗らないこと。

以前大澤真幸が、社会史が阪神大震災などの偶発事故を内面化してしまい、まるで偶然起きた事故が必然的に戦後50年を決済してしまったかのように見えることがあると言い、ヘーゲルの「現実的なものは合理的である」という句を引用していたが、このような事故も起こったその時点から物語化が始まる。

2005年の8月16日は、地下鉄の扉が走行中に開き、東北で震度6の地震が起こり、日経平均株価は年初来高値を更新した、というようにいくつかのトピックスが状況を代表する、かのように認識され、こうした積み重ねが人々の気分を形成してゆく。

大平洋戦争の戦後処理においても、責任の所在は曖昧にされ、後世で語られるのは当時の新聞などが報じていた、戦時の気分である。小泉首相は、中国の歴史意識とは何の関係もなく、選挙対策から靖国参拝を取り止め、数人の閣僚が代わりに参拝することで、右傾政府という気分は継続される。

歴史観による統一の必要性が他国に比べて少ない国。時間という概念は持続することなく、瞬間ごとの更新が微細な差異を織り込んでゆく。

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